第59回 2019.09.02
農耕開始期の動物考古学発行元: 六一書房 2019/04 刊行
評者:樋泉岳二 (日本動物考古学会会長)
本書は山崎健氏のこれまでの研究を集成したものである.構成は大きく第1部と第2部に分かれており,第1部「伊勢湾・三河湾沿岸の事例研究」は「第1章 研究の目的」,「第2章 採貝活動」,「第3章 漁撈活動」,「第4章 狩猟活動」,「第5章 農耕開始直前の様相」,「第6章 結論」,第2部「今後の展望」は「第7章 資料蓄積の模索」,「第8章 方法論の模索」,「第9章 社会貢献の模索」の各章から成る.
本書の書名『農耕開始期の動物考古学』に直接かかわるのは第1部である.
「研究の目的」では,冒頭で「本書の目的は,縄文時代晩期〜弥生時代の動物遺存体を研究して,農耕開始期における動物資源利用の実態を明らかにすることである」(p.3)と述べる.次いで,弥生時代の動物考古学研究が停滞していること,その理由として研究者の意識の低さがあることを指摘し,「弥生時代の漁労や狩猟がどのように論じられてきたのか」「理論的枠組みを検討して,先行研究の到達点と課題を明らかにしたい」として,研究史がまとめられている.
漁労活動については生業による遺跡の類型化,とくに考古学における「漁村」概念の来歴と問題点について丁寧にまとめられているが,扱われているのはおもに漁撈具や民俗学からの研究成果である.狩猟活動についても狩猟具とイノシシが扱われているのみである.現在の弥生時代の動物考古学研究が「イノシシ家畜化の議論に集中している」との指摘はあながち間違いとはいえないが,弥生時代の漁労・狩猟に関しては動物考古学からも多くの先行研究があるにも関わらず本章では言及されていない.山崎氏は課題として「理論による資料の軽視」を指摘しているが,むしろ動物考古学の先行研究の成果を踏まえてこれまでの「理論的枠組み」の問題点を検証することが必要だったのではないかと思う.
「採貝活動」・「漁撈活動」・「狩猟活動」では伊勢湾奥部沿岸での山崎氏による具体的な動物考古学研究の成果がまとめられている.本書の核心部分である.
漁撈活動については詳細な分析資料の取り扱いと同定・分析に基づく漁場・漁期の推定から漁撈活動にかかわった集団と農耕集団の関係が考察されている.とくに農耕開始に伴う漁期の変化を明らかにした点は重要な成果といえよう.いっぽう,採貝活動については貝類組成と主要種のひとつであるハマグリのサイズの時期的な変化について環境変化と捕獲圧のふたつの要因から解釈がなされているが,やや単純に過ぎる感がある.
狩猟活動については,とくにニホンジカ狩猟について重点的な分析がなされており,とりわけ臼歯の発生段階に基づく捕獲季節の推定や部位別出現頻度にもとづく道具(骨角製品)素材としての利用に関する分析は精緻であり,重要な成果である.いっぽうで,シカと並ぶ重要種のイノシシについてはごく短い記述があるのみで,「遺跡周辺の人為的環境に接近したイノシシを積極的に利用していた」,「少なくとも家畜化の初期段階に位置づけられる」とのまとめについても,より慎重な検証・考察がなされるべきであったと思う.
「農耕開始直前の様相」では,伊勢湾沿岸の資料が少ない縄文晩期について,研究事例が豊富な三河湾沿岸の様相がまとめられている.とくに第2節の「渥美半島における貝輪製作」は精緻な調査研究の成果がまとめられており説得力がある.ただし,本書の構成からみれば,本章は伊勢湾奥部沿岸での一連の弥生時代遺跡の研究(第2〜4章)の前に置かれた方がよかったように思う.
「結論」として,(1) 採貝活動では農耕の季節性と重複する採貝活動が低下すること,(2) 漁労活動では沖積低地の遺跡において沿岸〜淡水の魚が広く利用され,とくに水田周辺での小型コイ科魚類の利用が活発であるのに対し,台地上の遺跡では淡水魚の利用がほとんどみられず,また漁期が縄文時代の夏秋中心から弥生時代には冬春中心の農閑期漁業へと変化したこと,漁労を担った集団は農耕にも漁撈にも従事する多様な生業集団であったこと,(3) 狩猟活動では,イノシシは遺跡周辺に近づいてきたものが利用されたのに対し,ニホンジカは冬にやや離れた森林で選択的に捕獲されたほか,「骨のついた角」も流通で獲得しており,「農閑期の生業活動」と「鹿角の獲得活動」の二つの意義があったこと,さらに,(4) 生業変化の時期は伊勢湾奥部沿岸では弥生前期後半,三河湾沿岸では弥生中期中葉で地域差があること,後者ではイネの伝播後も動物資源利用に影響が及ばない時期が存在したことが指摘されている.今後は採貝・漁撈・狩猟を総合した動物資源利用の全体像が提示され,農耕活動との関係や遺跡周辺の古環境との関連性についても検討がなされることを期待したい.
第2部「今後の展望」では,まず「資料蓄積の模索」において弥生時代には貝塚が減少し動物遺体が残りにくい環境に変化したと指摘し,「資料の蓄積が非常に大きな課題」として,「第1節 焼骨」では堆積環境の影響を受けにくい焼骨の分析事例が示され,「第2節 動物遺存体の調査論」では今後の資料蓄積に貢献することを目的として,発掘担当者が発掘現場・整理作業において留意すべき点がまとめられている.
「方法論の模索」では,「第1節 年齢査定」において現生標本の分析にもとづくニホンジカの骨端癒合状況による年齢推定方法が提示され,「第2節 部位別出現頻度と痕跡」ではモンゴルにおける動物遺存体形成過程の観察にもとづく人間活動と物質的痕跡の対応関係が検討されている.いずれも非常に有意義な成果で,今後の動物考古学的研究に資するところが大きい.ただ本書の主題である「農耕開始期の動物考古学」との関連性は明確でなく,本章は別書としてまとめたほうがよかったように思う.
最後の「社会貢献の模索」では,「研究の成果はどのように利用されているのか」との問題意識から,「自然再生事業」と考古学における「古環境復元」の関係性が検討され,「自然再生事業は,過去という歴史を根拠として利用しながら,歴史そのものを軽視している」と指摘する.しかし,山崎氏が本書で示した伊勢湾奥部沿岸域での研究成果はそうした「歴史」を具体的に検証する絶好の資料であるにも関わらず,本章にはなぜか反映されていない.本書の主題である弥生時代は水稲農耕の普及に伴い縄文時代には限定的であった低湿地域の環境改変が広域的に進んだ時代であり,低地/淡水環境を中心とした人と自然の関係性の再編期である.山崎氏には観念論の罠にとらわれることなく,自らの研究成果にもとづき実証的な研究を着実に進めていくことを期待したい.
まとめとして,本書には発掘から整理・分析・報告を経て普及・社会貢献にいたる一連の過程における山崎氏の熱い思いが凝縮されている.先進気鋭の研究者による「挑戦」をどう受けとめるか.多くの方々にご一読いただきたい一書である.
本書の書名『農耕開始期の動物考古学』に直接かかわるのは第1部である.
「研究の目的」では,冒頭で「本書の目的は,縄文時代晩期〜弥生時代の動物遺存体を研究して,農耕開始期における動物資源利用の実態を明らかにすることである」(p.3)と述べる.次いで,弥生時代の動物考古学研究が停滞していること,その理由として研究者の意識の低さがあることを指摘し,「弥生時代の漁労や狩猟がどのように論じられてきたのか」「理論的枠組みを検討して,先行研究の到達点と課題を明らかにしたい」として,研究史がまとめられている.
漁労活動については生業による遺跡の類型化,とくに考古学における「漁村」概念の来歴と問題点について丁寧にまとめられているが,扱われているのはおもに漁撈具や民俗学からの研究成果である.狩猟活動についても狩猟具とイノシシが扱われているのみである.現在の弥生時代の動物考古学研究が「イノシシ家畜化の議論に集中している」との指摘はあながち間違いとはいえないが,弥生時代の漁労・狩猟に関しては動物考古学からも多くの先行研究があるにも関わらず本章では言及されていない.山崎氏は課題として「理論による資料の軽視」を指摘しているが,むしろ動物考古学の先行研究の成果を踏まえてこれまでの「理論的枠組み」の問題点を検証することが必要だったのではないかと思う.
「採貝活動」・「漁撈活動」・「狩猟活動」では伊勢湾奥部沿岸での山崎氏による具体的な動物考古学研究の成果がまとめられている.本書の核心部分である.
漁撈活動については詳細な分析資料の取り扱いと同定・分析に基づく漁場・漁期の推定から漁撈活動にかかわった集団と農耕集団の関係が考察されている.とくに農耕開始に伴う漁期の変化を明らかにした点は重要な成果といえよう.いっぽう,採貝活動については貝類組成と主要種のひとつであるハマグリのサイズの時期的な変化について環境変化と捕獲圧のふたつの要因から解釈がなされているが,やや単純に過ぎる感がある.
狩猟活動については,とくにニホンジカ狩猟について重点的な分析がなされており,とりわけ臼歯の発生段階に基づく捕獲季節の推定や部位別出現頻度にもとづく道具(骨角製品)素材としての利用に関する分析は精緻であり,重要な成果である.いっぽうで,シカと並ぶ重要種のイノシシについてはごく短い記述があるのみで,「遺跡周辺の人為的環境に接近したイノシシを積極的に利用していた」,「少なくとも家畜化の初期段階に位置づけられる」とのまとめについても,より慎重な検証・考察がなされるべきであったと思う.
「農耕開始直前の様相」では,伊勢湾沿岸の資料が少ない縄文晩期について,研究事例が豊富な三河湾沿岸の様相がまとめられている.とくに第2節の「渥美半島における貝輪製作」は精緻な調査研究の成果がまとめられており説得力がある.ただし,本書の構成からみれば,本章は伊勢湾奥部沿岸での一連の弥生時代遺跡の研究(第2〜4章)の前に置かれた方がよかったように思う.
「結論」として,(1) 採貝活動では農耕の季節性と重複する採貝活動が低下すること,(2) 漁労活動では沖積低地の遺跡において沿岸〜淡水の魚が広く利用され,とくに水田周辺での小型コイ科魚類の利用が活発であるのに対し,台地上の遺跡では淡水魚の利用がほとんどみられず,また漁期が縄文時代の夏秋中心から弥生時代には冬春中心の農閑期漁業へと変化したこと,漁労を担った集団は農耕にも漁撈にも従事する多様な生業集団であったこと,(3) 狩猟活動では,イノシシは遺跡周辺に近づいてきたものが利用されたのに対し,ニホンジカは冬にやや離れた森林で選択的に捕獲されたほか,「骨のついた角」も流通で獲得しており,「農閑期の生業活動」と「鹿角の獲得活動」の二つの意義があったこと,さらに,(4) 生業変化の時期は伊勢湾奥部沿岸では弥生前期後半,三河湾沿岸では弥生中期中葉で地域差があること,後者ではイネの伝播後も動物資源利用に影響が及ばない時期が存在したことが指摘されている.今後は採貝・漁撈・狩猟を総合した動物資源利用の全体像が提示され,農耕活動との関係や遺跡周辺の古環境との関連性についても検討がなされることを期待したい.
第2部「今後の展望」では,まず「資料蓄積の模索」において弥生時代には貝塚が減少し動物遺体が残りにくい環境に変化したと指摘し,「資料の蓄積が非常に大きな課題」として,「第1節 焼骨」では堆積環境の影響を受けにくい焼骨の分析事例が示され,「第2節 動物遺存体の調査論」では今後の資料蓄積に貢献することを目的として,発掘担当者が発掘現場・整理作業において留意すべき点がまとめられている.
「方法論の模索」では,「第1節 年齢査定」において現生標本の分析にもとづくニホンジカの骨端癒合状況による年齢推定方法が提示され,「第2節 部位別出現頻度と痕跡」ではモンゴルにおける動物遺存体形成過程の観察にもとづく人間活動と物質的痕跡の対応関係が検討されている.いずれも非常に有意義な成果で,今後の動物考古学的研究に資するところが大きい.ただ本書の主題である「農耕開始期の動物考古学」との関連性は明確でなく,本章は別書としてまとめたほうがよかったように思う.
最後の「社会貢献の模索」では,「研究の成果はどのように利用されているのか」との問題意識から,「自然再生事業」と考古学における「古環境復元」の関係性が検討され,「自然再生事業は,過去という歴史を根拠として利用しながら,歴史そのものを軽視している」と指摘する.しかし,山崎氏が本書で示した伊勢湾奥部沿岸域での研究成果はそうした「歴史」を具体的に検証する絶好の資料であるにも関わらず,本章にはなぜか反映されていない.本書の主題である弥生時代は水稲農耕の普及に伴い縄文時代には限定的であった低湿地域の環境改変が広域的に進んだ時代であり,低地/淡水環境を中心とした人と自然の関係性の再編期である.山崎氏には観念論の罠にとらわれることなく,自らの研究成果にもとづき実証的な研究を着実に進めていくことを期待したい.
まとめとして,本書には発掘から整理・分析・報告を経て普及・社会貢献にいたる一連の過程における山崎氏の熱い思いが凝縮されている.先進気鋭の研究者による「挑戦」をどう受けとめるか.多くの方々にご一読いただきたい一書である.