書評コーナー

第73回 2021.08.04

酸素同位体比年輪年代法 先史・古代の暦年と気候を編む
発行元: 同成社 2021/06 刊行

評者:樋上 昇 ((公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター  調査課主任専門員)

酸素同位体比年輪年代法 先史・古代の暦年と気候を編む

著書:中塚 武 著

発行元: 同成社

出版日:2021/06

価格:¥2,970(税込)

目次

まえがき 本書の三つの目的
第1章 酸素同位体比年輪年代法の背景
第2章 考古学における年代決定と酸素同位体比
第3章 年輪セルロース酸素同位体比の変動メカニズム
第4章 年輪セルロース酸素同位体比の測定法
第5章 酸素同位体比を使った出土材の年輪年代決定
第6章 酸素同位体比を使った遺跡の年代決定
第7章 酸素同位体比年輪年代法の未来
付編 木材からの年輪セルロース試料の作成手順
引用文献
あとがき コロナ禍と歴史研究

 本書の著者、中塚武氏は現在、名古屋大学大学院環境学研究科の教授であり、「第1章4 異分野からの年輪年代学への参入」に詳述されているように、かつては北海道大学の低温科学研究所に所属された海洋環境分野の研究者であった。そして、同研究所において有機物の酸素同位体比を測定できる熱分解元素分析計と同位体比質量分析計のオンライン装置を日本で初めて導入したことをきっかけに、年輪酸素同位体比の測定を始められた。

 一般に「年輪年代学」といえば、元奈良文化財研究所の光谷拓実氏らによる、樹木年輪の年輪幅をグラフ化し、遺跡出土の木材と照合してその伐採(枯死)年代を調べる研究手法が有名である。ただし、この手法では針葉樹のごく一部しか測定することができず、縄文〜弥生時代遺跡から出土する木材の大半を占める広葉樹には全く応用できないことが最大の課題であった。
 それに対して中塚氏は、木材の「年輪セルロースの酸素同位体比が個体間で高い変動の相関性をもつ(つまり樹種が違っても年輪セルロースの酸素同位体比の増減パターンが同じ)」ことと、それが「夏の降水量などの気候変動の鋭敏な指標となる」ことを突き止められた。
 このことは、本書「第3章2 変動のメカニズム(1)―気候変動」で詳述されている。「年輪酸素同位体比」は、樹木が根から吸い上げた水を葉から蒸発・拡散する際に、大気中の湿度によってその量を変えることに由来している。すなわち、水が葉から蒸散する際、重い酸素18よりも軽い酸素16からなる水の方が運ばれやすいために酸素の同位体比(18Oと16Oの比率)が変化するというメカニズムに拠っている。つまり、降水量が多い年は相対湿度が高くなるとともに、葉内水、さらには年輪セルロースの酸素同位体比が低くなる。逆に降水量が少ない年は相対湿度が低くなり、年輪セルロースの酸素同位体比は高くなるという原理である。
 この原理は針葉樹・広葉樹を問わず同じ相関を示すことから、樹木年輪の酸素同位体比による年代測定は、年輪さえ読み取れれば(つまり年輪が読み取れないアカガシ亜属など以外)、近い環境に育ったあらゆる樹木に応用できる。この「近い環境」とは、日本列島でいえば中部地方から本州最西端までは少なくとも共通することがわかっており、例えば木曽ヒノキなどによって得られたデータがそのまま近畿・北陸・中国地方などの出土木材にも適用できる。
 ただ、「樹齢効果(第3章3に詳述)」によって、1本ごとの樹木の酸素同位体比は徐々に低下していく。そのため、一つ一つの木材単位で酸素同位体比の変動曲線を作って相似形の変動曲線を重ねていくことはできても、時代が異なる別の樹木の変動曲線とつなげて一本の線としての変動曲線が描けないことが課題であった。
 しかし、樹木年輪セルロースの水素同位体比はこの樹齢効果によって逆に上昇していくことがわかり、樹木ごとの酸素同位体比と水素同位体比を掛け合わせることによって、ようやく紀元前10世紀頃から現代まで、一本の基準となる変動曲線(マスタークロノロジー)が完成するにいたった(第7章2・3)。

 次に本書で述べられている、もう一つの大きな技術革新は、「板ごとセルロース抽出法」の開発である(第4章4・5)。
 有機物の同位体比測定は、測定用試料に何かを照射すれば測れるという簡単なものではなく、その有機物を「ガス化」する必要がある。しかし、酸素のガス化には大変な困難を伴う。この問題については熱分解元素分析計と同位体比質量分析計のオンライン装置の登場によって解決した(第4章1・2)。これによって酸素同位体比による木材の年代測定は一気に進化したが、さらにもう一つの課題を抱えるにいたる。それはセルロース抽出の方法であった(第4章3)。
 年輪の酸素同位体比を分析するには、セルロースを抽出しなければならない。この年輪からのセルロース抽出法は、まず棒状や板状の木材から1年輪ずつ精密ナイフで切り分けて、その年輪ブロックを粉末化するかナイフでさらに薄片化したのち、化学処理をおこなう。この作業をおこなう際、例えば300年輪ある木材からセルロースを抽出するために、1人の研究者がかかりきりになっても2ヶ月程度を要するのが普通であった。さらに1年輪単位のごく微量な試料では、化学反応の過程で滅失したり不純物が混入することが多い。こうした作業の煩雑さ、不確かさはセルロース酸素同位体比の活用を望む研究者のモチベーションを下げる要因になっていた。
 そこで中塚氏は試行錯誤の結果、「木材薄板からの年輪の精密ナイフによる分割」の次に「年輪からのセルロースの抽出」をおこなうという従来の工程を、「木材薄板からセルロースを抽出」の次に「セルロース化した薄板から年輪の精密ナイフによる分割」に処理の順番を入れ替えてみた。このことによって、「セルロース抽出のための化学処理のサンプル数が十数分の一に減る」とともに、「木材の薄板の入った試験管から反応溶液を分離する際には試験管を傾けるだけで済み、作業時間が大幅に短縮した」。さらに「セルロース化した薄板は柔らかく、ナイフを当てるだけで年層を簡単に分離でき」、「試料作成の最終段階まで顕微鏡下でセルロース化した年層を目視できるため、不純物の混入を防ぐことができる」という、一挙に4つもの課題を克服することができた(第4章3)。
 さらにその後も、実際に遺跡から出土する木材への応用として、PEGや真空凍結乾燥法などで保存処理を施されたものについても酸素同位体比測定のための年輪セルロースの抽出が可能とした(第4章5)。

 ここまで長々と年輪酸素同位体比の分析手法を本書に沿って紹介したが、これによって光谷氏らによる年輪年代測定法と、年輪酸素同位体比による年代測定法が根本的に違うことがご理解いただけたかと思う。ここで重要なのは、同じ出土材や原生標本を、「年輪幅による年代測定法」、「酸素同位体比による年代測定法」、さらには「AMSによる14C年代測定法のウイグルマッチング法(1つの出土材から5年輪ごとに14Cを測定して変動曲線を作成する)」など、原理的に異なる手法で年代測定をおこなうことが可能となった。実際にそれらを相互に比較してみると、これら異なる測定法でも、おおよそ(AMSはそもそも誤差を含むことを前提としている)年代が合致することが明らかとなった。

 そこでいよいよ考古学への応用である。それは本書の第5・6・7章において、個別遺跡ごとに詳しく触れられているので、ぜひ本書を手にとってお読みいただきたいところである。
 もう一つ重要なのは、この年輪セルロースの酸素同位体比が示すのは単に「年代測定法」にとどまらないことである。これまでの分析の蓄積により、すでに紀元前10世紀頃から現代まで1年単位のマスタークロノロジーが完成しており、その変動曲線はさらに縄文時代へとつながりつつある。この変動曲線の原理は前述のとおり、降水量による相対湿度の変動、さらに言えば、それは「夏場の降水量」に拠っている。そして、この夏場の降水量は年間の平均気温と連動している。すなわち、夏場の長雨は本州中部地方より西の地域では多くの場合、冷夏につながる。つまり、夏場の降水量から復元された年輪酸素同位体比の気候変動曲線は、1年単位の気温の変動をも示している。むしろ降水量と気温の変動が主であり、年代測定法の方が副産物と言っても良い。

 中塚氏を研究代表者として2012年度の予備研究に始まり、2018年度までの都合6年間にわたって総合地球環境学研究所でおこなわれた年輪酸素同位体比の研究プロジェクトは『高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索』というテーマのもと、古気候学、気候学、先史・古代史、中世史、近世史、分類・統合の6グループでそれぞれ第一線の研究者が10数名ずつ参加し、おのおのの研究分野にしたがって研究・分析・討論を重ねた末、最終的に『気候変動から読みなおす日本史』全6巻として、2020年度に臨川書店より刊行された。
 この現代より過去3000年以上まで1年単位で遡ることができる降水量と気温の気候変動パターンは、古代〜近世では古記録に残る旱魃や多雨と完璧に照合できることを可能とし、さらには飢饉の記録から政権交替の要因までをも気候変動から読み解くことを可能とした。しかし考古学では、年輪酸素同位体比の変動曲線が示す1年単位のイベント(洪水や旱魃)がダイレクトに遺跡や地域社会に影響を及ぼしたという明確な証拠を見出すことは難しい。むしろ、紀元前10世紀頃を谷底とする気候の冷涼化が朝鮮半島南部から北部九州へ稲作民が流入するきっかけとなったこと、弥生時代前期から中期後葉にかけての乾燥・温暖化が人口の増加をもたらし西日本に巨大な環濠集落を成立させたこと、弥生時代中期末(紀元前1世紀頃)からおよそ100年間続いた極度の多雨と寒冷化が巨大集落の解体につながり、人々が流動化して新たな社会、すなわち古墳時代の開始へと結びつくなど、年輪酸素同位体比の変動曲線が描く大きなうねりこそが、文字による歴史記録が出現する以前の地域社会や政治勢力の変遷を如実に示しているといって過言ではないだろう。
 少し前までは、このようなことを考古学研究者が書くと、間違いなく「環境決定論」者だと厳しく批判された。しかし、本書『酸素同位体比年輪年代法』と『気候変動から読みなおす日本史』が刊行された今は、逆に過去3000年以上に及ぶ気候変動パターンを無視して歴史を語ることこそ、「時代錯誤」と言われることだろう。それゆえ本書は疑いなく、現代の考古学研究者一人ひとりにとって必読の書であると断言できる。

酸素同位体比年輪年代法 先史・古代の暦年と気候を編む

著書:中塚 武 著

発行元: 同成社

出版日:2021/06

価格:¥2,970(税込)

目次

まえがき 本書の三つの目的
第1章 酸素同位体比年輪年代法の背景
第2章 考古学における年代決定と酸素同位体比
第3章 年輪セルロース酸素同位体比の変動メカニズム
第4章 年輪セルロース酸素同位体比の測定法
第5章 酸素同位体比を使った出土材の年輪年代決定
第6章 酸素同位体比を使った遺跡の年代決定
第7章 酸素同位体比年輪年代法の未来
付編 木材からの年輪セルロース試料の作成手順
引用文献
あとがき コロナ禍と歴史研究

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