書評コーナー

第76回 2023.01.20

秤と錘の考古学
発行元: 同成社 2022/11 刊行

評者:西川修一 (神奈川県立旭高等学校 教諭)

秤と錘の考古学

著書:葉山 茂英 著

発行元: 同成社

出版日:2022/11

価格:¥6,600(税込)

目次

第I部 秤の概要と研究史
 第1章 秤の概要
 第2章 考古学における秤の研究史
第II部 弥生時代の秤
 第3章 弥生時代の天秤
 第4章 弥生時代の天秤の源流
 第5章 弥生時代の棹秤
第III部 古代・中世の秤
 第6章 南関東地方出土遺物の実証的研究
 第7章 南関東地方出土の棹秤の錘の分類試案
 第8章 匁体系の成立と継承
第IV部 結 論
 第9章 考古学からみた秤
 第10章 秤研究の課題と意義
 

 

 本書で取り上げられている「秤」(はかり)と「錘」(おもり)は、書いて字のごとく第一義的には「てんびん」と「権=分銅」のことであるが、今日の私たちに「オモリで平衡をとって計る」という行為は、すっかり身近でなくなってしまった。

 かつて「ご近所の商店街」での「はかり売り」の「商い」もすっかり姿を消してしまった。昭和40年代頃までは、店頭で「○○を何グラムちょうだい…」と注文すると、店主はしゃもじ等で「竹皮」に経験で盛り付け、店内に下げられた「バネばかり」でサッと計量し、さじ加減で微調整し「はい、オマケ…」って手渡すのであった。その「○○グラム」は「正確」ではダメである。若干のプラスが「必須」である。こんな「やり取り」は、列島の市井で、何時から存在したのだろうか…。かつて「計量」という行為は、一種のコミュニケーションでもあったのだ…と。ある意味、職人的な営みでもあったのだろう。

 今日では、いわゆる「計測」はデジタル化し、「バネ計り」はおろか、「天秤」や「錘」が登場する場は皆無となった。「竿ばかり」を用いた計量の光景も、かつての「記憶」に残るだけ…である。私も使用したことすら無いし、計測方法も知らない。

 私たち考古学研究者にとって、報告・分析のため、出土資料の「点数」と「重さ」は主たる関心事であるが、この器物やその内容物が往事、「どう計られていたか?」、つまり計量(重量にかかわらず容量も、長さも…)は、出土資料に乏しいことが要因で、視野に入っていない。もちろん意識して追求している人も「いる」のだろうが、寡聞にして弥生〜古墳時代の「計量枡」や「モノサシ」そのものが出土したというハナシは聞いたことがない。考古学は出土遺物を懸命に「計っている」が、「計量(重さ・容量・長さ)の考古学」的な分析は至って低調、ニガテ…なのだ。

 度量衡は公権力が基準を示す「統一権力」の証でもある。律令国家以来、たびたび強権が発動して基準を示し、正確に徴発するコトに努めてきた。まさに、度量衡は「権力そのもの」であるし、「文明」の象徴、代名詞とも言えよう。後三条天皇や豊臣秀吉が「枡を定めた…」ことは、教科書にも出てくる。しかし、これとは別次元のハカリ=「日常の計り」の存在は、重要な分析の視角である。コミュニケーションとしての「計量」もある、「秤と錘」の織りなす世界の奥深さが改めて理解される…やや強引かもしれないが、これが本書の最大の読後感である。それにしても、出土資料は乏しいのが現実である。

 このように、まず本書が問いかけるのは、このように「私たちが“計り”という“営み”から、いかに縁遠くなっているか…」という自覚を促している点である。つまり、本書のタイトルである「秤と錘」について「何も知らなかった」という無知を痛感させられよう。評者のような年配の者でも、この体たらくであるから、生まれた時からデジタル化された世界で生きている若い読者にとって、平衡をとって「計量」するという行為は、義務教育の理科の授業以外は経験したことのない世界であろう。

 ちなみに、私が若い頃、勤務先の埋蔵文化財センターには、まだ上皿天秤と分銅が備え付けられ、それで出土遺物を計量していたが、時を経ずして「デジタルはかり」に取って代わった。そう言えば、佐原真の「弥生時代争乱社会 史観」の基となった「縄文と弥生のヤジリの重さ」の計測が、芦屋市整理室に持ち込んだ上皿天秤でなされたのは、有名なエピソードだが…。これも今では考えられない光景であろう。

 私たちの大半は、いまや「秤と錘」について「ほとんど知らない…」のである。ここから始めよう。まず「計量」に対する知識の欠如、ましてや「考古学と計量」に関する研究が乏しいという、事実を直視しなくてはならない。

 私たちが関心をいだく列島の考古世界、人々の織りなす生き生きとした日常生活で、ハカリはいったいどのように介在していたのだろうか。本書を通じてまず直面する「史実」は、筆者がくり返し発する「庶民のハカリ」としての棹秤の融通無碍さである。かたや「正確な計量」も併存した…という事実である。このような複雑な系統樹が入り組んでいることである。また、二つの体系の存在の指摘こそ、最も注目される事実である。

 

 本書の著者である葉山茂英さんは、地元厚木の遺跡群に惹かれ、高校時代から発掘調査にハマり、大学卒業後は、神奈川県立の高等学校で社会科教員として後進の育成に尽力しつつ、地域史・考古学研究を継続してきた。筆者は同僚として、同じ勤務校に席を同じくしたことは無いが、定年を少し残して退職されたと聞いていた。これを機に東海大学で「はかり」をテーマに本格的な学究を再開され、専門誌に次々と研究論文を発表されていたことは存じあげていた。その成果を基にまとめられ、博士号を取得された学位論文の成果が本書である。その学問的な熱意は敬服の至りで、惰眠を貪っている私に本書の評を寄せる資格はないが、乏しい理解に基づき、概要を綴り、展望を述べてみよう。

 

「第I部 秤の概要と研究史」では、基本的な基礎知識を概説している。第1章は秤と錘について概観し、考古学において出土資料としての「権衡」・「秤」などを取り上げた論考・発掘調査報告書について、定義や分析法が十分に行われてこなかったという現状を鑑み、基本的な構造などの共通理解を目指している。第2章では研究史を振り返る。比較的蓄積がある古代・中世の枠の研究、また近年資料の増加がめざましい弥生時代の秤についての研究史を振り返っている。

「第II部 弥生時代の秤」では、弥生時代の秤について扱っている。大阪府亀井遺跡で、天秤の錘である分鋼とおぼしき遺物が発見されるまで未開拓の分野であった弥生時代の研究について、用語の不統一などの問題を整理しつつ、自説と森本らの所説との交通整理を目指している。第3章では、研究上の問題点を、主に森本晋の論説(森本2012)と中尾智行(中尾2018)の論文を取り上げ、筆者の見解との検討を進めている。そのうえで、第4章では、弥生時代の分銅と一体をなす「天秤の源流」を検討し、半島・大陸からの渡来文化であること論じている。第5章では、後代の古墳時代〜古代の状況を鑑みつつ、既に弥生時代に棹秤が存在した可能性を強調する。そして筆者が「錘状土製品」と呼ぶ土製品が、棹錘あるいは、その模倣品である可能性を検討している。

「III部 古代・中世の秤」では、古代と中世の秤を対象として、そこから遡及する方法で議論を展開している。第6章では南関東地方各地の出土事例から秤の実態を分析する。第7章では南関東地方出土の秤錘の分類案を提示している。第8章では古代・中世の棹錘の質量単位が「匁」であるとし、その由来や継承について検討する。

「第IV部 結論」は、残された研究課題と秤研究が持つ意義・将来の展望について議論が広げられている。第9章では、本書の要点をまとめ、新たな見解および提言を示している。最後に第10章では、汎世界的な秤の研究の今後の課題をあげ、研究の展望を述べている。

 

 このように、本書の論点は多岐にわたり、簡単に要約することは難しいが、それでも残された「課題」には広大な領域がひろがっている。それは本書が「秤」という未開拓な分野に果敢に挑んだ結果である。評者にその全体を俯瞰する能力は無い。そのなかで、列島における「秤」の消長についての素朴な疑問について言及しよう。

 まず冒頭に記したとおり、本書を通読することにより、考古学研究の分野において「秤と錘」の分野がめざましい進化を遂げつつあることが理解することができる。また縁遠くなってしまった「計量という営為」の歴史に対して、本書が大いに蒙を啓いてくれている。特に「秤」についても、「上皿天秤」と「棹秤」の体系、「権衝」「分銅」について、体系的な知識を得ることができる。いっぽうで「棹秤」の列島における導入を弥生時代に措定するという仮説は、進展しつつある「権衝」(分銅)体系との関わり合いで、ますます複雑さを禁じ得ない。

 まだまだ未開拓・未解明な地平は遠く広がっているようだ。

 なかでも、耳目を集めている大半の「権衝」の資料が列島西部を中心とした弥生時代遺跡の事例であり、そこには未解明な部分が残っているとはいえ、「分銅」の体系が存在していた可能性すらあるとのことである。かたや、列島東部にも、弥生後期以降には、棹秤の存在を予見させる「錘」の存在が指摘可能である。

 しかし、これは評者のイメージに過ぎないかもしれないが、古墳時代を経て説かれている「棹秤」の波及は、どうも「分銅体系」とは、この「周波」が異なっているとの印象が強い。棹秤の使用も半島・大陸からの文化伝播とは推定されるが、それが筆者もくり返し述べているように「庶民の秤」、かつ「正確さを期さない計量体系」を支えていたとするなら、なおさらである。

 つまり、高度な製造法の知識に基づいた素材の調合・流通に使用されたであろう「天秤と分銅」の体系と、市井の計量である「棹秤の体系」、それぞれの系統的な解明が期待される。かつ、筆者によれば棹秤でも定量的な「錘の体系」が存在した可能性が強調されている。この「周波」の違いは、何に起因するのであろうか?

 想像をたくましくするなら、弥生時代に体系的な「権衝」(分銅)の導入の端緒が芽生え、その周波は北部九州から大阪湾岸を中心とした列島西部に及んでいた。しかし、これとは別のベクトルの計量体系が併行し、弥生時代以降に、緩やかに日常的な秤である「棹秤」も移入され、それぞれ併存して列島に浸透しつつあったとは考えられないだろうか。

 前述のとおり、統一的な「度量衡」の施行は、国家権力の強権の波及と無関係ではない。この2つの体系は、これとどのように関わって、または絡め取られていったのであろうか。

 評者は、近年の地域間の交流・ネットワークの分析を通じ、かつてアプリオリに概説されていたような、国家形成期(弥生時代末期〜古墳時代初期)に、中央集権的な制度や体制が広域に、かつ一義的に拡散してきたとは考えていない。国家形成期へ向かう列島各地は、より多様性の入り込んだ、モザイク状の地域社会を現出させていた。つまり、地域社会のイニシャティブが発揮されていたと考えている。

 このような思考に基づき、地域社会で繰り広げられた流通の姿を思い浮かべた時、棹秤の浸透が、天秤とは別系統であるという理解はきわめて「魅力的な文脈」である。自説に引き寄せすぎであろうか?

 山積された未解明な領域は多い。なかでも本書の積み残した未集成の領域、また出土遺物そのものでの検証はこれからである。特に「目盛り」を記した「棹秤」の実物資料の出土が待望される。また本書に触発され、今まで「見過ごされていたオモリ」の資料が「発見される」ことも期待されよう。再検証が進めば、次々と新事実があきらかにされてくる可能性は高い。その点で、考古資料としての「秤と錘」に関心がなくても、「古代社会の枠組み」に関心のある諸兄にとって寄与するところが多い書籍である。多くの研究者が一読すべき良書であることを明言しておく。

 葉山さん、これからも執着して、まだまだ「集め」て、分析してください。

 

 

秤と錘の考古学

著書:葉山 茂英 著

発行元: 同成社

出版日:2022/11

価格:¥6,600(税込)

目次

第I部 秤の概要と研究史
 第1章 秤の概要
 第2章 考古学における秤の研究史
第II部 弥生時代の秤
 第3章 弥生時代の天秤
 第4章 弥生時代の天秤の源流
 第5章 弥生時代の棹秤
第III部 古代・中世の秤
 第6章 南関東地方出土遺物の実証的研究
 第7章 南関東地方出土の棹秤の錘の分類試案
 第8章 匁体系の成立と継承
第IV部 結 論
 第9章 考古学からみた秤
 第10章 秤研究の課題と意義