第8回 2013.09.27
東北アジア古民族植物学と縄文農耕発行元: 同成社 2011/04 刊行
評者:佐々木 由香 (株式会社 パレオ・ラボ)
古民族植物学の手法を用いて縄文時代の農耕の実態に迫る意欲作
本書は「植物考古学」の新たな時代の幕開きを象徴する書である。将来、考古学で最も知られた「植物考古学についての本」をあげるならば、2011年に刊行された本書が候補の一つになろう。本書で小畑氏は「第3回日本考古学協会奨励賞」(2013年5月)のほか、「第6回九州考古学会賞」(2012年度)も受賞された。また、著書に対する直接の受賞ではないが、刊行翌年には本書を含めた植物考古学の研究成果に対し、氏は「第25回濱田青陵賞」(2012年度)も受賞されている。本書は2011年に刊行されており、すでに多くの方に読まれているため、書評をするまでもないが、まだ本書を手にとっていない方にむけて内容を紹介したい。
本書は「植物考古学」という考古学ではなじみの薄い分野に対して、フローテーション法で検出された炭化種実の研究や、土器の圧痕レプリカ法で検出された種実遺体および昆虫遺体(家屋害虫)の研究からアプローチがなされている。おもな研究対象は縄文時代に利用された栽培植物で、広く東アジアの事例を踏まえて、最新の研究成果と現状の評価・問題点が紹介されている。研究の視点は考古学だけでなく、植物学、民族(俗)学と多岐に渡り、また扱う時代も縄文時代を中心としながらも、現代の食に関わる問題にも繋げており、植物に関わる世界が非常に広いことが各章のタイトルをみただけでも感じられる。
内容は専門的な部分も多いが、各章に設けられたコラムは、章への導入部となっており、コラムのみ読んでも、著者が2003年頃からどのように植物考古学に傾倒した(ハマった)のかがよくわかり、楽しい。初出一覧によると、本書の大部分が2003年以降の研究に基づいており、この10年間の研究成果が反映されていることがわかる。本書に取りあげられた縄文時代の植物利用研究には、まだ研究途上の成果もある。その証拠に本書刊行以降に、縄文時代の資料から見いだされた栽培植物の炭化種実や、土器圧痕種実、昆虫の研究の成果にはめざましいものがあり、こうした分野の研究は日々更新されている。本書の中でも、著者が自らの研究成果を否定し更新している部分があるように、ここ数年の間には本書で紹介されている研究成果が順次塗り替えられていくことが予見される。
本書の構成
本書では、「古民族植物学的観点」に立脚した論、つまり種実の「ある・なし」ではなく、同定法やタフォノミーの問題を加味した上での検討例が示されている。
第1章・第2章では、ドングリ類の同定法に多くのページがあてられている。現生植物の観察から果実識別法のフローチャート図(図1)や炭化子葉による同定方法が提示される。特に炭化子葉の形態による種レベルの同定方法は、小畑氏によって開発された方法である。それに基づき、実際の出土資料での同定実践例や、九州および周辺地域の遺跡のドングリ類出土例が集成されている。出土例の検討から、九州地方の貯蔵穴から出土するドングリ類には数種類が混在しているとする従来の見解には同定上の問題が含まれており、特定種(イチイガシ)を集中的に採集・保存していると指摘している。
第3章・第4章では、マメ科の同定方法、特にダイズとアズキの同定方法と、縄文時代を中心とした出土例がまとめられている。マメ科の臍の形態と大きさに着目した同定方法は小畑氏により2007年に提示された。この臍による同定方法の開発により、圧痕レプリカ法と炭化種実のマメの同定が飛躍的に進み、縄文時代で注目される種実のひとつになっている。縄文時代を中心にマメ科種子の圧痕と炭化種実が集成されており、ダイズは東アジア東部の北緯35〜40度の範囲の多くの地域で栽培が開始され、その栽培の起源地の一つが縄文時代前期の中部高地・西関東に存在したと指摘している。中期には、種子の大型化現象が認められ、人口増加を背景として、人為による特定植物の生育環境の創出と維持管理(=栽培)があったと提示している。
第5章・第6章では、朝鮮半島と縄文時代の栽培植物の問題点が取り上げられ、起源ならびに変遷が出土例や年代値などから検討されている。こうした検討をふまえ、日本列島にある栽培植物を,外来栽培植物(縄文早・前期以前)と外来栽培植物(縄文後期以降)、在来栽培植物の3種に分類している。これについては、先述したように、今後新たなデータが蓄積されていくであろう。
第7章では、植物から一転して主に土器圧痕中のコクゾウムシについて取り上げられている(図2)。コクゾウムシが縄文時代早期前半からみられる「家屋害虫」であることを突き止め、加害対象もイネではなく、クリやドングリ類、ササなどを候補としてあげている。
第8章・第9章では、ムギ類を中心に同定の問題と伝播について主に炭化種実から検討が加えられ、第10章・第11章では、炭化種実からみた沿海州の農耕化過程と、東北アジア古代・中世の農耕と食について検討が加えられている。
本書の特徴
本書には、植物学や分類学の書物でもあまりみられなかった植物の器官の実測図が多数掲載されている。これまで種実遺体の同定を行う上で参考になる本といえば、写真や文章の記載が大半であった。本書では、石器の研究者でもある著者ならではの実測図が多数掲載されており、洗練された線書きの図によって植物の形態の特徴をつかみやすくしている。中でもコクゾウムシの図は、1つ1つの細胞をイラストレーターで作図したという大作で、圧巻である。本書に数多く掲載された実測図は、従来同定が難しかったドングリ類(コナラ属)の炭化子葉による識別や、炭化種実と圧痕に残るマメ科の臍による識別の根拠を示すのに有効であった。実際、著者の研究により、両者の同定技術は格段に進歩したといって良いだろう。特に、土器圧痕のレプリカから種を決める場合、質感や色の情報はないため、形状や表面構造が同定の決め手となる。マメ科、特にダイズとアズキの臍の形状に関する研究は、その後のマメの土器圧痕研究の口火を切り、いまや全国に広がりつつある。また、これら比較的「大きな種実」は、遺跡発掘調査現場において目立ち、取り上げられやすい遺物でもある。本書を見ただけで、これまで植物遺体を扱った経験がない人が正確な同定を行うのは正直難しいが、ある程度何であるか、あるいは本質的に種子かどうかの手がかりはつかめるのではないかと思う。
本書のもう一つの特徴は、種実や昆虫のデータの提示方法である。集めうる限りの標本を集め、実測・計測するという考古学のスタンダードの方法をとりながら、それを種実遺体や昆虫遺体へ応用する方法は、今後他の種実・昆虫遺体の研究へも応用されていくだろう。残念なのは、計測値や計測図の点が小さいことである。全体のページ数からみて、小さく版を組まざるを得ない事情があったと思われるが、図からデータを読み取るのが難しい。過去の植物の同定にあたり最も大切な作業は、現在に生きている植物や昆虫をまんべんなく収集し、形状や生態を把握して、同定の基準を確立していくことにあると評者は考える。本書は、過去の種実や昆虫遺体の出土例を単に集成しているのではなく、現生植物の標本の観察を踏まえて同定の根拠を明らかにし、産出状況や来歴(タフォノミー)を考慮した上で、種実遺体や昆虫遺体(家屋害虫)の研究を展開しており、氏が直接扱っていない資料についても吟味が加えられている点でも他書との違いをみることができる。
本書に示された一連の研究は、約10年のうちに急激なスピードで進められている。これは小畑氏の熱意と周囲の人々との研究上の連携がうまく作用していることも大きいだろう。さまざまな学問分野において横のつながりは重要であるが、本書を読む際には約10年間の小畑氏の研究の広げ方にも注目してもらいたい。
考古学の分野で植物や昆虫を扱う研究者あるいは分析者の数は、現生標本の不足や、生物の種の多様さ、解釈の難しさなどの問題があり、中々増加しないのが現状である。ある意味、この分野の研究者は絶滅危惧種といえよう。専門で行わないにしても、植物遺体や家屋害虫を現場で抽出するかしないかは、調査者の認識の程度に拠る場合が多く、こうした生物遺体資料をどのように扱うかは、広く下知識として共有される必要がある。本書が広く読まれ、この分野の次の時代の1ページを開く原動力となることを期待したい。