第42回 2018.02.13
津波災害痕跡の考古学的研究発行元: 同成社 2017/09 刊行
評者:岡村勝行 (公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所)
本書は、仙台平野を中心とする豊富な自らの遺跡調査、フィールドワークの積み重ねをベースに、膨大な関係史料の再検討を通して、正確な津波災害史の構築、津波災害痕跡の研究方法の提示に取り組まれた労作である。同研究は歴史が浅く、本書によって、国内外の津波災害の実態、津波災害痕跡の分析・調査法、現状と課題について、その最前線に触れることができる。各章を概観してみよう。
第1章「津波災害の認識と痕跡調査研究の現状」では、国内外の最古の津波災害、災害記録について触れ、海外では地中海のエーゲ海地域における3,500〜3,600年前の津波の諸研究に言及し、基本的な津波堆積物の識別基準の共有の不備から、議論が十分に積み上げられていない現状を指摘する。
津波災害痕跡研究は2004年のインド洋津波による災害を契機に活発化し、国内では80年代以降の仙台平野の研究の進展を経て、2007年の沓形遺跡で検出された津波堆積物と被災遺構(廃絶された水田跡)の調査によって、考古学の関与に大きな期待が寄せられ、貞観11(869)年の津波痕跡を見直す契機にもなった。
第2章「地層の理解と調査研究方法」では、地層の基本的な理解の共有に向けて、層序学と層位的発掘、年代推定、調査研究方法が解説される。なかでも、津波災害痕跡の識別方法として、堆積物の粒径分布や淘汰作用、微化石など10項目を検討した上で、「堆積物の陸側への分布」がその決定的な鍵となる点を確認する。被災遺構では、その代表的な水田遺構について、基本的な構造、作業工程、侵食による変形など痕跡の読み取り方がモデル的に示される。
仙台平野では、東日本大震災の津波堆積物の到達限界と遡上距離の関係が、目視で観察できる程度の層厚(5mm以上)を有する砂層は、遡上距離の6割程度までしか分布していないことが判明し、仙台平野沿岸域の津波の規模を推定し、過去の津波被害の実態を解明していく上で基準となる重要な成果が得られた。続く3〜5章では、この成果を踏まえ、弥生時代、平安時代、江戸時代の津波災害について、仙台平野を中心に遺跡、文献史料から詳細に検討される。
弥生時代では中期の津波災害について、仙台市の沓形遺跡、荒井広瀬遺跡など7つの事例について、詳細な検討とともに、震災前後の集落動態から社会の変化が考察される。同地域の弥生時代研究を牽引してこられた著者ならでは、きめ細かい時期区分の物差し、遺跡の消長を武器に、弥生中期中葉中段階の津波が沿岸部の集落を廃絶させ、それ以降、古墳時代に移行するまで、長く営まれなくなることを明らかにし、この集落動態の大きな変化を心理的な津波被害による自然観の変更の反映とみる。
平安時代では、貞観11年(869)の津波災害では、津波堆積物が報告された仙台市沼向遺跡、9世紀後半の水田跡(被災遺構)が確認された名取市下増田古墳群の2つの調査を主に、多賀城跡、山王遺跡などの他の遺跡の調査成果を踏まえながら、『日本三代実録』の詳細な史料批判を行い、貞観震災における津波災害の実態が検討される。津波を前後する集落動態の検討から、貞観津波は沿岸部の集落に一定の被害を及ぼしたが、地域社会の生業基盤に大きな被害を与えておらず、『日本三代実録』の震災被害の記事内容は、事実を過大視していると結論する。貞観地震・津波の規模・災害の評価は、研究者のなかで分かれており、本書は重要な論点を提示する。
江戸時代では、慶長16年(1611)の津波災害について、仙台平野に関する史料として、伊達家の『貞山公治家記録』、徳川家の『駿府記』などの関連記事を丁寧に読み解き、現状では津波災害は三陸海岸に限られており、仙台平野や福島県太平洋沿岸では具体的な状況が明らかでなく、遺跡では岩沼市高大瀬遺跡の発掘調査で報告されているものの、津波堆積も被災遺構も確認されておらず、津波堆積物の識別が先決課題とされる。
第6章「総合化による津波災害痕跡の調査研究」では、津波防災だけでなく、他の自然災害の防災へも貢献していくうえで、総合化による痕跡調査研究の必要性が提起される。その針路として、地震学、火山学、地質学、堆積学、土木工学、津波工学、地形学、考古学、文献史学、書誌学、民俗学など「地球科学の多分野連携による津波痕跡の調査、人類史における津波痕跡と被害・復興の位置づけ、防災・減災技術に関係する機関への研究成果の提供と協力関係の構築」の3項目が掲げられ、なかでも、考古学には、地球科学の一分野として連携を図るべき、と檄を飛ばす。
終章「より正確な災害史構築に向けて」では、東日本大震災という大災害に遭遇し、「より正確な自然災害現象の履歴を知ることが、防災の基盤になって、震災時の冷静な意識と適切な行動に結びつくと考える」と述べ、「この方法が、世界中の沿岸地域の津波災害史の構築に貢献し、津波防災の一助となることを願ってやまない」と締めくくる。
僭越だが、本書の意義について、「考古学と現代社会」という視点から考えたい。まず、本書により津波災害痕跡研究の礎が築かれた点を挙げられる。ジオ・アーケオロジーをはじめ、各分野には異論・反論があるであろうが、太平洋沿岸地域を中心に列島各地の地下に残された堆積物の調査・研究のための参照となり、後続する研究の起点、乗り越えるべきプラットフォームが整った意味は大きい。
第二に、学のデザインについて。地震・津波痕跡に限らず、地滑り、火山灰、水害など土地に刻まれた災害痕跡を関連諸学と連携し、社会的な提言につなげる「贈与」としての学は、現代の個別細分化の傾向への警告にもなる。国内では埋蔵文化財調査という名のもとに、年間、数千件の発掘調査が行われ、国立研究機関では過去の災害痕跡のデータベース化が進行している。本書の「呼びかけ」により、日々の地味な営みに確かな展望、正のサイクルが与えられる。
第三に、その国際性について。一昨年、私は世界考古学会議(WAC)開会式の講演で著者の津波災害痕跡研究の一端を紹介する機会があったが、研究者から高い反響があった。仙台平野から発するメッセージは、自然災害はもちろん、気候変動による生命やコミュニティの維持・継続など同様な問題意識・危機感をもち、「考古学と現代社会」への関心の高い研究者の共感を呼び起こす。そのユニバーサルで、未来志向の調査研究は地球規模で協働・連携が可能であり、さらなる世界への発信が期待される。
最後にわが身を振り返ると、著者の厳格な史資料批判に接して、遺跡調査のあり方、精度を自問する機会ともなった。とりわけ現代社会に大きなインパクトを与え得る過去の災害に関して、安易な報告は許されない。本書は、本来、学際的な調査研究の場であるべき遺跡に関わる考古学者のプロフェッショナリズム、社会的役割・責任を写し出す鏡も提示したことになる。
あの大惨事から、まもなく7年となる。被災地の考古学者・歴史研究者には、過去の津波災害を十分に伝えられていなかったという悔悟が、この間の研究の推進力となっている。自ら被災しながら、街の復興とともに増加する遺跡調査の対応に奔走されるなか、人類の未来への遺産となる本書を準備されたことに、あらためて敬意を表したい。
第1章「津波災害の認識と痕跡調査研究の現状」では、国内外の最古の津波災害、災害記録について触れ、海外では地中海のエーゲ海地域における3,500〜3,600年前の津波の諸研究に言及し、基本的な津波堆積物の識別基準の共有の不備から、議論が十分に積み上げられていない現状を指摘する。
津波災害痕跡研究は2004年のインド洋津波による災害を契機に活発化し、国内では80年代以降の仙台平野の研究の進展を経て、2007年の沓形遺跡で検出された津波堆積物と被災遺構(廃絶された水田跡)の調査によって、考古学の関与に大きな期待が寄せられ、貞観11(869)年の津波痕跡を見直す契機にもなった。
第2章「地層の理解と調査研究方法」では、地層の基本的な理解の共有に向けて、層序学と層位的発掘、年代推定、調査研究方法が解説される。なかでも、津波災害痕跡の識別方法として、堆積物の粒径分布や淘汰作用、微化石など10項目を検討した上で、「堆積物の陸側への分布」がその決定的な鍵となる点を確認する。被災遺構では、その代表的な水田遺構について、基本的な構造、作業工程、侵食による変形など痕跡の読み取り方がモデル的に示される。
仙台平野では、東日本大震災の津波堆積物の到達限界と遡上距離の関係が、目視で観察できる程度の層厚(5mm以上)を有する砂層は、遡上距離の6割程度までしか分布していないことが判明し、仙台平野沿岸域の津波の規模を推定し、過去の津波被害の実態を解明していく上で基準となる重要な成果が得られた。続く3〜5章では、この成果を踏まえ、弥生時代、平安時代、江戸時代の津波災害について、仙台平野を中心に遺跡、文献史料から詳細に検討される。
弥生時代では中期の津波災害について、仙台市の沓形遺跡、荒井広瀬遺跡など7つの事例について、詳細な検討とともに、震災前後の集落動態から社会の変化が考察される。同地域の弥生時代研究を牽引してこられた著者ならでは、きめ細かい時期区分の物差し、遺跡の消長を武器に、弥生中期中葉中段階の津波が沿岸部の集落を廃絶させ、それ以降、古墳時代に移行するまで、長く営まれなくなることを明らかにし、この集落動態の大きな変化を心理的な津波被害による自然観の変更の反映とみる。
平安時代では、貞観11年(869)の津波災害では、津波堆積物が報告された仙台市沼向遺跡、9世紀後半の水田跡(被災遺構)が確認された名取市下増田古墳群の2つの調査を主に、多賀城跡、山王遺跡などの他の遺跡の調査成果を踏まえながら、『日本三代実録』の詳細な史料批判を行い、貞観震災における津波災害の実態が検討される。津波を前後する集落動態の検討から、貞観津波は沿岸部の集落に一定の被害を及ぼしたが、地域社会の生業基盤に大きな被害を与えておらず、『日本三代実録』の震災被害の記事内容は、事実を過大視していると結論する。貞観地震・津波の規模・災害の評価は、研究者のなかで分かれており、本書は重要な論点を提示する。
江戸時代では、慶長16年(1611)の津波災害について、仙台平野に関する史料として、伊達家の『貞山公治家記録』、徳川家の『駿府記』などの関連記事を丁寧に読み解き、現状では津波災害は三陸海岸に限られており、仙台平野や福島県太平洋沿岸では具体的な状況が明らかでなく、遺跡では岩沼市高大瀬遺跡の発掘調査で報告されているものの、津波堆積も被災遺構も確認されておらず、津波堆積物の識別が先決課題とされる。
第6章「総合化による津波災害痕跡の調査研究」では、津波防災だけでなく、他の自然災害の防災へも貢献していくうえで、総合化による痕跡調査研究の必要性が提起される。その針路として、地震学、火山学、地質学、堆積学、土木工学、津波工学、地形学、考古学、文献史学、書誌学、民俗学など「地球科学の多分野連携による津波痕跡の調査、人類史における津波痕跡と被害・復興の位置づけ、防災・減災技術に関係する機関への研究成果の提供と協力関係の構築」の3項目が掲げられ、なかでも、考古学には、地球科学の一分野として連携を図るべき、と檄を飛ばす。
終章「より正確な災害史構築に向けて」では、東日本大震災という大災害に遭遇し、「より正確な自然災害現象の履歴を知ることが、防災の基盤になって、震災時の冷静な意識と適切な行動に結びつくと考える」と述べ、「この方法が、世界中の沿岸地域の津波災害史の構築に貢献し、津波防災の一助となることを願ってやまない」と締めくくる。
僭越だが、本書の意義について、「考古学と現代社会」という視点から考えたい。まず、本書により津波災害痕跡研究の礎が築かれた点を挙げられる。ジオ・アーケオロジーをはじめ、各分野には異論・反論があるであろうが、太平洋沿岸地域を中心に列島各地の地下に残された堆積物の調査・研究のための参照となり、後続する研究の起点、乗り越えるべきプラットフォームが整った意味は大きい。
第二に、学のデザインについて。地震・津波痕跡に限らず、地滑り、火山灰、水害など土地に刻まれた災害痕跡を関連諸学と連携し、社会的な提言につなげる「贈与」としての学は、現代の個別細分化の傾向への警告にもなる。国内では埋蔵文化財調査という名のもとに、年間、数千件の発掘調査が行われ、国立研究機関では過去の災害痕跡のデータベース化が進行している。本書の「呼びかけ」により、日々の地味な営みに確かな展望、正のサイクルが与えられる。
第三に、その国際性について。一昨年、私は世界考古学会議(WAC)開会式の講演で著者の津波災害痕跡研究の一端を紹介する機会があったが、研究者から高い反響があった。仙台平野から発するメッセージは、自然災害はもちろん、気候変動による生命やコミュニティの維持・継続など同様な問題意識・危機感をもち、「考古学と現代社会」への関心の高い研究者の共感を呼び起こす。そのユニバーサルで、未来志向の調査研究は地球規模で協働・連携が可能であり、さらなる世界への発信が期待される。
最後にわが身を振り返ると、著者の厳格な史資料批判に接して、遺跡調査のあり方、精度を自問する機会ともなった。とりわけ現代社会に大きなインパクトを与え得る過去の災害に関して、安易な報告は許されない。本書は、本来、学際的な調査研究の場であるべき遺跡に関わる考古学者のプロフェッショナリズム、社会的役割・責任を写し出す鏡も提示したことになる。
あの大惨事から、まもなく7年となる。被災地の考古学者・歴史研究者には、過去の津波災害を十分に伝えられていなかったという悔悟が、この間の研究の推進力となっている。自ら被災しながら、街の復興とともに増加する遺跡調査の対応に奔走されるなか、人類の未来への遺産となる本書を準備されたことに、あらためて敬意を表したい。
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