第43回 2018.04.12
前方後円墳秩序の成立と展開発行元: 同成社 2017/10 刊行
評者:青木 敬 (國學院大學文学部准教授)
澤田秀実氏が、専修大学大学院に提出した博士学位申請論文が、同成社より刊行された。ここで改めていう必要もないだろうが、本書は著者が長年取り組んでこられた前方後円墳の研究書であり、著者自身が中心となって取り組んできた数多くの前方後円墳の測量・発掘調査成果も反映した労作である。著者の前方後円墳に対する見解が論文集として通観できるようになり、加えて著者が考える古墳時代の政治史像が本書によって明白になった。1990年代から2000年代初頭頃にかけて発表された著者の墳丘にかんする一連の論考に啓発され、墳丘研究に身を投じた筆者としては、まず本書の刊行を心から喜びたい。
それでは、筆者の感想も交えつつ本書の内容を簡単に要約しておこう。
第1章「前方後円墳の成立過程」では、墳丘築造企画に箸墓系列と桜井茶臼山系列の2系列を設定し、各系列に連なる古墳を提示する。いっぽう、双方の系列の影響をうけて成立した古墳もが少なからず存在するとし、複雑なあり方に特質をみいだす。前期古墳に特徴的な副葬品である三角縁神獣鏡の編年、さらには当該時期の代表的な埋葬施設である竪穴式石槨の壁体部構造からその変遷を検討する。その結果、竪穴式石槨は弥生墳丘墓からの発展形とし、三角縁神獣鏡の鏡群の幅と竪穴式石槨の新古を対応し、前期古墳の編年観を整理する。墳丘の変遷だけでなく、他の考古資料からも年代的変遷をあとづけた本章の主張は、強い説得力がある。
第2章「桜井茶臼山古墳の築造企画」では、前章で提示した桜井茶臼山系列の祖形をもとめるべく、弥生墳丘墓に検討がおよぶ。検討の結果、桜井茶臼山古墳の墳丘形状が四国地方の鶴尾神社4号墓を嚆矢とし、さらに丹波地域の黒田墳丘墓を経て成立したと理解し、箸墓古墳とは異なる系統として前章でおこなった位置づけを傍証する。
第3章「前方後円墳築造企画の配布とその実相」が、本書における検討の中核的な部分を占める。本章では、九州地方から東北地方の大形前方後円墳や前方後方墳を対象とし、近畿地方の巨大前方後円墳との形態比較をおこない、類型墳・非類型墳を抽出する。とくに、著者が長年にわたってフィールドにしてきた美作地域では、近畿地方において墳丘型式が更新されると、新しい墳丘型式を採用し、墳丘築造企画が変更されていったことをあきらかにする。
前章での検討結果をふまえ、第4章「美作地方における前方後円墳秩序の展開」では、東海地方とは系統的に異なる前方後方墳が展開し、それらは前方後円墳とのかかわりで成立し、前方後円墳秩序の脈絡でとらえる必要性を説く。
第5章「国家形成過程における前方後円墳秩序の役割」は、前章までの検討結果から前方後円墳秩序とはなにか、その実態を類推していく。そして前方後円墳は、「支配者の威勢を示すモニュメントであるが、祖霊祭祀の共有のための重要な装置として生みだされ、畿内政権の頂点に立つ倭国王の墳墓である前方後円墳にならって築造するといった、一定の秩序にしたがった埋葬祭祀の執行を通じた畿内政権の枠組みへの参画とそこでの地位を示す身分表示システム」(199頁)と、前方後円墳秩序を規定する。続けて著者は、政権との関係が基本的に一代限りと指摘する。6世紀以降の理解は筆者と一部相違するが、墳丘構築技術の非連続性などを根拠とした前・中期古墳にかんする著者の指摘は、示唆に富む。
終章「前方後円墳秩序の実相」において、築造企画の共有を原則とする前方後円墳秩序は、女王卑弥呼が創設し、その後350年の長きにわたり汎列島的な範囲(倭国)を維持するための装置として機能したと結論し、本書を結ぶ。
以下、本書で重要と考えられる論点やキーワードに関連して、若干の私見を述べたい。
前方後円墳の墳丘というと、上田宏範氏による画期的な研究を端緒として、設計の方法、つまり作図法的研究が推し進められてきたのだが、著者の研究は作図法云々ではなく、できあがった前方後円墳の形態的特徴を把握し、「企画」として設定したところに大きな特徴がある。そして、「企画」を編年・分布両面から検討し、その変遷から古墳時代の政治史を描出しようとする手堅い研究手法に裏打ちされつつも、意欲的な考察や提言が提示されていく。ただ、近年の研究では「規格」の用例もあることから、なぜ「規格」ではなく「企画」なのか、本書の根幹たる部分について、著者の見解をもう少し伺いたかった。
類型墳と非類型墳の設定は、とても重要な視座である。各地の大型前方後円墳が、単に近畿地方の巨大前方後円墳の模倣にとどまらず、地域内の政治的関係をも反映した所産と説く筆者の主張は傾聴すべきである。具体的にいうと、類型墳の被葬者が地域首長で、こうした有力者が畿内政権に朝貢するという。他方、非類型墳の被葬者が小首長とされ、こちらは地域首長へ朝貢し、地域首長を介して畿内政権と間接的な関係を結ぶと推測する。つまり、朝貢の二重構造こそが前方後円墳秩序の基本原理と説く。墳丘を測量し、得られた測量図の比較から規格を設定し、その分布から類型墳を認め、さらには非類型墳まで認定することで、前方後円墳からみた有力者同士の関係性を説く本書は、墳丘測量図というデータをもとに堅実な議論を構築しただけあって、説得力をもって読み手に迫ってくる。
本書を通じて、次なる課題もみえてきたように思う。一例として、箸墓系列と桜井茶臼山系列の設定と変遷について異をとなえるつもりはないが、それでは前方後円墳の築造規格がなぜ変化したのだろうか。墳頂部における埋葬儀礼と囲繞する土器や埴輪との関係、造出の出現、埋葬施設構造の変化、墳丘を望見する位置と墳丘までの距離、地形的立地環境や環境変動など、さまざまな要素が複雑に交錯し、変化していった可能性を考えたいが、今後はこうした背景にも議論が展開することを期待したい。
つぎに、本書で使われた術語の定義にかんして二、三要望を述べさせていただきたい。
まず、「竪穴式石槨」という用語について、著者は第1章の註で、語義から「石槨」を用いるのが妥当とする(56頁)。この点にかんして、筆者は著者とやや異なる理解であり、棺の設置後、壁体の大半を構築するものが「槨」ととらえ、持ち送り構造をとるいわゆる合掌形石室の場合が、「槨」の概念におおよそ合致すると考える。対して「室」は、先に壁体や天井石の架構をおこない、そののちに棺を設置するという順序で説明される。桜井茶臼山古墳はじめ、大型の天井石を有する例では、棺の設置が壁体完成後となる可能性も捨象できず、すべて「槨」の概念に合致するとまで断言できないため、「石槨」の用法については議論の余地がありそうである。
また、「地域首長」と「小首長」など、現在も使われる「首長」という語との差異を明確にし、いかなる人物について「地域首長」と規定するのか、検討が必要と感じた。古墳の大多数をしめる墳形である円墳の被葬者はいかに位置づけるべきか。類型・非類型を抽出することはむずかしいだろうが、円墳などの被葬者と「畿内政権」とのかかわりはどのように説明すべきか。古墳は、前方後円墳のみならず墳形にかんしても重層的な構造をとるため、これから古墳全体の秩序も念頭においた議論が必要となるだろう。
このほか、先に出てきた「畿内政権」の用法についても、ほかにヤマト王権、ヤマト政権、大和政権など、王権や中央政権にかんする名称は複数提起されているが、本書では「畿内政権」の語をもちいる。数ある用語のうち、「畿内政権」を使用する理由について、もう少し説明がほしかったと感じた。研究において術語の定義を明示することは、読み手に対して研究者の姿勢をしめす重要な点であるためだ。前方後円墳から当時の政治的秩序を説く本書の内容からみても、こうした説明が不可欠であるように思う。
以上、非才を省みずに私見を申し上げたが、こうした瑣末な点が論旨に影響をあたえるものではなく、本書の価値を減じるものでもない。みな同じようにみえる前方後円墳が、かくも系統が分かれ、古墳時代の多様な政治的関係を類推する格好の対象であることを本書は雄弁に物語っている。古墳時代に興味がある方、とくに前方後円墳や前期古墳に関心をお持ちの方にご一読をお薦めしたい。
それでは、筆者の感想も交えつつ本書の内容を簡単に要約しておこう。
第1章「前方後円墳の成立過程」では、墳丘築造企画に箸墓系列と桜井茶臼山系列の2系列を設定し、各系列に連なる古墳を提示する。いっぽう、双方の系列の影響をうけて成立した古墳もが少なからず存在するとし、複雑なあり方に特質をみいだす。前期古墳に特徴的な副葬品である三角縁神獣鏡の編年、さらには当該時期の代表的な埋葬施設である竪穴式石槨の壁体部構造からその変遷を検討する。その結果、竪穴式石槨は弥生墳丘墓からの発展形とし、三角縁神獣鏡の鏡群の幅と竪穴式石槨の新古を対応し、前期古墳の編年観を整理する。墳丘の変遷だけでなく、他の考古資料からも年代的変遷をあとづけた本章の主張は、強い説得力がある。
第2章「桜井茶臼山古墳の築造企画」では、前章で提示した桜井茶臼山系列の祖形をもとめるべく、弥生墳丘墓に検討がおよぶ。検討の結果、桜井茶臼山古墳の墳丘形状が四国地方の鶴尾神社4号墓を嚆矢とし、さらに丹波地域の黒田墳丘墓を経て成立したと理解し、箸墓古墳とは異なる系統として前章でおこなった位置づけを傍証する。
第3章「前方後円墳築造企画の配布とその実相」が、本書における検討の中核的な部分を占める。本章では、九州地方から東北地方の大形前方後円墳や前方後方墳を対象とし、近畿地方の巨大前方後円墳との形態比較をおこない、類型墳・非類型墳を抽出する。とくに、著者が長年にわたってフィールドにしてきた美作地域では、近畿地方において墳丘型式が更新されると、新しい墳丘型式を採用し、墳丘築造企画が変更されていったことをあきらかにする。
前章での検討結果をふまえ、第4章「美作地方における前方後円墳秩序の展開」では、東海地方とは系統的に異なる前方後方墳が展開し、それらは前方後円墳とのかかわりで成立し、前方後円墳秩序の脈絡でとらえる必要性を説く。
第5章「国家形成過程における前方後円墳秩序の役割」は、前章までの検討結果から前方後円墳秩序とはなにか、その実態を類推していく。そして前方後円墳は、「支配者の威勢を示すモニュメントであるが、祖霊祭祀の共有のための重要な装置として生みだされ、畿内政権の頂点に立つ倭国王の墳墓である前方後円墳にならって築造するといった、一定の秩序にしたがった埋葬祭祀の執行を通じた畿内政権の枠組みへの参画とそこでの地位を示す身分表示システム」(199頁)と、前方後円墳秩序を規定する。続けて著者は、政権との関係が基本的に一代限りと指摘する。6世紀以降の理解は筆者と一部相違するが、墳丘構築技術の非連続性などを根拠とした前・中期古墳にかんする著者の指摘は、示唆に富む。
終章「前方後円墳秩序の実相」において、築造企画の共有を原則とする前方後円墳秩序は、女王卑弥呼が創設し、その後350年の長きにわたり汎列島的な範囲(倭国)を維持するための装置として機能したと結論し、本書を結ぶ。
以下、本書で重要と考えられる論点やキーワードに関連して、若干の私見を述べたい。
前方後円墳の墳丘というと、上田宏範氏による画期的な研究を端緒として、設計の方法、つまり作図法的研究が推し進められてきたのだが、著者の研究は作図法云々ではなく、できあがった前方後円墳の形態的特徴を把握し、「企画」として設定したところに大きな特徴がある。そして、「企画」を編年・分布両面から検討し、その変遷から古墳時代の政治史を描出しようとする手堅い研究手法に裏打ちされつつも、意欲的な考察や提言が提示されていく。ただ、近年の研究では「規格」の用例もあることから、なぜ「規格」ではなく「企画」なのか、本書の根幹たる部分について、著者の見解をもう少し伺いたかった。
類型墳と非類型墳の設定は、とても重要な視座である。各地の大型前方後円墳が、単に近畿地方の巨大前方後円墳の模倣にとどまらず、地域内の政治的関係をも反映した所産と説く筆者の主張は傾聴すべきである。具体的にいうと、類型墳の被葬者が地域首長で、こうした有力者が畿内政権に朝貢するという。他方、非類型墳の被葬者が小首長とされ、こちらは地域首長へ朝貢し、地域首長を介して畿内政権と間接的な関係を結ぶと推測する。つまり、朝貢の二重構造こそが前方後円墳秩序の基本原理と説く。墳丘を測量し、得られた測量図の比較から規格を設定し、その分布から類型墳を認め、さらには非類型墳まで認定することで、前方後円墳からみた有力者同士の関係性を説く本書は、墳丘測量図というデータをもとに堅実な議論を構築しただけあって、説得力をもって読み手に迫ってくる。
本書を通じて、次なる課題もみえてきたように思う。一例として、箸墓系列と桜井茶臼山系列の設定と変遷について異をとなえるつもりはないが、それでは前方後円墳の築造規格がなぜ変化したのだろうか。墳頂部における埋葬儀礼と囲繞する土器や埴輪との関係、造出の出現、埋葬施設構造の変化、墳丘を望見する位置と墳丘までの距離、地形的立地環境や環境変動など、さまざまな要素が複雑に交錯し、変化していった可能性を考えたいが、今後はこうした背景にも議論が展開することを期待したい。
つぎに、本書で使われた術語の定義にかんして二、三要望を述べさせていただきたい。
まず、「竪穴式石槨」という用語について、著者は第1章の註で、語義から「石槨」を用いるのが妥当とする(56頁)。この点にかんして、筆者は著者とやや異なる理解であり、棺の設置後、壁体の大半を構築するものが「槨」ととらえ、持ち送り構造をとるいわゆる合掌形石室の場合が、「槨」の概念におおよそ合致すると考える。対して「室」は、先に壁体や天井石の架構をおこない、そののちに棺を設置するという順序で説明される。桜井茶臼山古墳はじめ、大型の天井石を有する例では、棺の設置が壁体完成後となる可能性も捨象できず、すべて「槨」の概念に合致するとまで断言できないため、「石槨」の用法については議論の余地がありそうである。
また、「地域首長」と「小首長」など、現在も使われる「首長」という語との差異を明確にし、いかなる人物について「地域首長」と規定するのか、検討が必要と感じた。古墳の大多数をしめる墳形である円墳の被葬者はいかに位置づけるべきか。類型・非類型を抽出することはむずかしいだろうが、円墳などの被葬者と「畿内政権」とのかかわりはどのように説明すべきか。古墳は、前方後円墳のみならず墳形にかんしても重層的な構造をとるため、これから古墳全体の秩序も念頭においた議論が必要となるだろう。
このほか、先に出てきた「畿内政権」の用法についても、ほかにヤマト王権、ヤマト政権、大和政権など、王権や中央政権にかんする名称は複数提起されているが、本書では「畿内政権」の語をもちいる。数ある用語のうち、「畿内政権」を使用する理由について、もう少し説明がほしかったと感じた。研究において術語の定義を明示することは、読み手に対して研究者の姿勢をしめす重要な点であるためだ。前方後円墳から当時の政治的秩序を説く本書の内容からみても、こうした説明が不可欠であるように思う。
以上、非才を省みずに私見を申し上げたが、こうした瑣末な点が論旨に影響をあたえるものではなく、本書の価値を減じるものでもない。みな同じようにみえる前方後円墳が、かくも系統が分かれ、古墳時代の多様な政治的関係を類推する格好の対象であることを本書は雄弁に物語っている。古墳時代に興味がある方、とくに前方後円墳や前期古墳に関心をお持ちの方にご一読をお薦めしたい。