第54回 2019.02.19
古墳時代棺槨の構造と系譜発行元: 同成社 2018/12 刊行
評者:日高 慎 (東京学芸大学 教授)
岡林孝作さんの古墳時代棺槨に関する論文集が刊行された。総426頁にもなる大部な著作集である。評者は、東京国立博物館に所属していた時に、同館所蔵の木棺について、岡林さんが取得した科学研究費の共同研究で3次元計測に関わった。山形県衛守塚2号墳、静岡県杉ノ畷古墳の木棺で、同書の巻頭にも写真が載せられている。日本列島は酸性土壌という特性から、有機質は残存しにくい。湿地帯や泥炭層などならば残存するだろうが、丘陵等の遺跡ではほぼ望みはない。ただし、竪穴式石室などで保護されていた場合には、希に残っている場合もある。学生時代に参加した奈良県下池山古墳の発掘調査で、残存状況の良い木棺を目の当たりにしたことがあったが、同じく学生時代に発掘に参加した同中山大塚古墳では、まったく残っていなかった。いわゆる木棺直葬といわれる埋葬方法では、まず木棺は残存しえない。
岡林さんは、丹念に各地に残る木棺を調査し、それを詳細に記録し(3次元計測および調査所見)、科学研究費補助金の研究成果報告書や研究論文でその成果を公にしてきたが、本書においてそれらの成果をまとめ上げたのである。真骨頂は実物資料の詳細な観察によって、木棺を分類しなおした点にある。69頁に示された木棺の木取りの模式図は、今後の木棺研究の基準となるものである。また、用材選択に関わって樹種同定を積極的に行い、その結果を表2・3としてまとめている。古墳時代の木棺が、地域性を持ちながら製作されていたことがよくわかる。特に、畿内周辺における「コウヤマキ地域圏」の形成は、自然環境的な要件(植生分布圏)だけでなく、朝鮮半島錦江流域におけるコウヤマキ製木棺の飛び地的分布なども含めて、最良の棺材=コウヤマキ材という認識がなりたっていたことを説く。鎹・釘と木棺形態に関する研究についても、実物資料の徹底的な観察をもとにした議論は、木取りをもとにした使用方法を提示しており、極めて説得力をもつものである。
第5章において、釘付式木棺を詳細に検討した結果、和田晴吾氏が提唱した「据えつける棺」から「持ちはこぶ棺」という変化については、畿内において横穴式石室の普及とともに釘付式木棺が増えてくる状況を考えると、釘付式木棺はまさに「持ちはこぶ棺」であり、和田氏が飛鳥時代以降としたそれの出現の時期に再考を促している。
第6章において、日本列島における木槨を改めて分類し、「弥生時代中期前半の北部九州を中心におこなわれたA類は二重木棺的な様相がつよく、日本列島での本格的な木槨の成立は弥生時代後期後半の中部瀬戸内〜山陰における木槨B類に求められること、B類を基盤として槨の大型化、石材化の指向性のもとに古墳時代初頭に木槨C類が成立した」(p.233)とされたのである。そして、柱・まくら木の存在、炭化材の存在などから木槨に火をかける儀礼を含めて朝鮮半島南部経由で日本列島へと伝わった要素であると理解した。
第7章における竪穴式石室の分析についても、自らが調査された前期古墳の詳細なデータに基づいてなされており、説得的である。木棺搬入のタイミングについては壁体構築の休止面の存在をもとに、作業面の確保という観点からもその時点での搬入の可能性を述べている。私自身は、従来から述べられてきたように、木棺の安置が壁体の構築に先行するのではないかと思っているが(全てではないにしても)、壁体の休止面より上で石積みの角度が変わっていく理由や、この時点での儀礼の執行という意味では理解しやすい。
第8章では東アジア世界における棺槨を、豊富な事例をもとに跡づける。私は中国の木槨の事例の詳細をほとんど知らない。木棺も含めて、示された中国各地の諸例の多さにまず驚かされた。これほどまで木槨・木棺の良好な事例が存在しているのかと。木槨の中国北東周辺地域への受容のメカニズムについて、「墓制の単なる漢化を意味するのではなく、墓制総体としてはそれぞれに民族的独自性を保持している」(p.330)と指摘している点は重要である。文化伝播を考えたとき、しばしば流入した先でのあり方が、最初期から地域性あるいは個性のある形でみられる場合が多いことの理由として、先の岡林さんの理解は有効であるとも思われてくる。そして、日本列島の弥生墳丘墓に木槨が受容された背景として、「構造物としての漢の木槨を忠実に再現するような直接的移入ではなく、中国的な埋葬のあり方としての棺槨の理念に比重を置いた間接的移入であったために、木槨は比較的短期間で受容し、発展的に姿を消す結果になった」(p.330)と捉え、木槨が日本列島に根付かなかった理由を示したのである。
木棺については、魏晋南北朝時代の木棺や棺金具等が古墳時代の木棺・石棺・棺金具に影響を及ぼしたのかどうか、比較検討の必要性を強く感じたところである。ちなみに、岡林さん・奥山誠義さんとともに2007年11月に科研の出張で中国へ行った際、西安市で後漢墓の棺金具を調査した。裏面についた木質や繊維の分析を、いち早く『西安東漢墓』下冊(2009年)に報告として示されていることも付け加えておきたい。
終章では改めてこれまで共通理解と思われてきた、長大な割竹形木棺と竪穴式石室が前方後円墳の成立とともに出現したという見方を見直し、ホケノ山古墳の中心埋葬施設に見られるような木槨と舟形木棺として出現するという理解を示した。これは古墳時代の始まりを何時に求めるのかという議論と相まって、極めて重要な指摘である。弥生墳丘墓と古墳との違いは何なのか、あるいは古墳時代の始まりを何時に求めるのかといった、これまで多くの人々によって議論されてきた点にも直接関わる問題である。
長大な刳抜式木棺と大型木槨の組み合わせからなる初期的な古墳時代棺槨の成立を第一の画期、竪穴式石室と長大な刳抜式木棺という組み合わせを第二の画期として理解し、「第一の画期は纏向諸古墳を中心とする初期的な前方後円墳の出現とその造営の広がり、第二の画期は巨大前方後円墳(箸墓古墳)の出現を含むいわゆる定型的な前方後円墳の成立とその造営のさらなる広がり」(p.375)に相当し、古墳時代の社会システムが汎列島的に拡大そして確立していくプロセスにほかならないとしたのである。そして、これらの画期は後漢以降の東アジア世界におけるさまざまな政治動向とも連動していると説いた。魏志倭人伝等にみる中国王朝への朝貢は、中国的な埋葬制度や葬送儀礼に関わる理念・知識が繰り返し日本列島に流入し、影響を与えたという理解はその通りだろう。
以上、雑駁ながら論評を進めてきた。もとより私は、この種の埋葬施設について、これまで深く考えたことはなかった。冒頭に書いた通り、学生時代に参加した前期古墳の発掘調査の経験や調査中に感じた疑問点などを相対化してこなかったという反省が先にたつ。前期古墳の埋葬施設については、多くの先達の論文を通して理解しようとしていただけであった。本書を通読して、岡林さんが自ら発掘調査に携わった成果とともに、過去に出土したものでも検討できる実物資料を丹念に調べるなかから結論へと導いていく姿勢に、今更ながら学ぶべき点が多いと感じた。私自身のこれまでの研究姿勢に対しても、戒めなければならないところが大である。本書は、古墳時代の墓制に少なからず関わりのある方に必携であることは、言を俟たない。本評文は、本書の表面的なところをなぞっただけのものであり、甚だ心許ないが、ぜひ諸賢にご一読をお勧めする次第である。
岡林さんは、丹念に各地に残る木棺を調査し、それを詳細に記録し(3次元計測および調査所見)、科学研究費補助金の研究成果報告書や研究論文でその成果を公にしてきたが、本書においてそれらの成果をまとめ上げたのである。真骨頂は実物資料の詳細な観察によって、木棺を分類しなおした点にある。69頁に示された木棺の木取りの模式図は、今後の木棺研究の基準となるものである。また、用材選択に関わって樹種同定を積極的に行い、その結果を表2・3としてまとめている。古墳時代の木棺が、地域性を持ちながら製作されていたことがよくわかる。特に、畿内周辺における「コウヤマキ地域圏」の形成は、自然環境的な要件(植生分布圏)だけでなく、朝鮮半島錦江流域におけるコウヤマキ製木棺の飛び地的分布なども含めて、最良の棺材=コウヤマキ材という認識がなりたっていたことを説く。鎹・釘と木棺形態に関する研究についても、実物資料の徹底的な観察をもとにした議論は、木取りをもとにした使用方法を提示しており、極めて説得力をもつものである。
第5章において、釘付式木棺を詳細に検討した結果、和田晴吾氏が提唱した「据えつける棺」から「持ちはこぶ棺」という変化については、畿内において横穴式石室の普及とともに釘付式木棺が増えてくる状況を考えると、釘付式木棺はまさに「持ちはこぶ棺」であり、和田氏が飛鳥時代以降としたそれの出現の時期に再考を促している。
第6章において、日本列島における木槨を改めて分類し、「弥生時代中期前半の北部九州を中心におこなわれたA類は二重木棺的な様相がつよく、日本列島での本格的な木槨の成立は弥生時代後期後半の中部瀬戸内〜山陰における木槨B類に求められること、B類を基盤として槨の大型化、石材化の指向性のもとに古墳時代初頭に木槨C類が成立した」(p.233)とされたのである。そして、柱・まくら木の存在、炭化材の存在などから木槨に火をかける儀礼を含めて朝鮮半島南部経由で日本列島へと伝わった要素であると理解した。
第7章における竪穴式石室の分析についても、自らが調査された前期古墳の詳細なデータに基づいてなされており、説得的である。木棺搬入のタイミングについては壁体構築の休止面の存在をもとに、作業面の確保という観点からもその時点での搬入の可能性を述べている。私自身は、従来から述べられてきたように、木棺の安置が壁体の構築に先行するのではないかと思っているが(全てではないにしても)、壁体の休止面より上で石積みの角度が変わっていく理由や、この時点での儀礼の執行という意味では理解しやすい。
第8章では東アジア世界における棺槨を、豊富な事例をもとに跡づける。私は中国の木槨の事例の詳細をほとんど知らない。木棺も含めて、示された中国各地の諸例の多さにまず驚かされた。これほどまで木槨・木棺の良好な事例が存在しているのかと。木槨の中国北東周辺地域への受容のメカニズムについて、「墓制の単なる漢化を意味するのではなく、墓制総体としてはそれぞれに民族的独自性を保持している」(p.330)と指摘している点は重要である。文化伝播を考えたとき、しばしば流入した先でのあり方が、最初期から地域性あるいは個性のある形でみられる場合が多いことの理由として、先の岡林さんの理解は有効であるとも思われてくる。そして、日本列島の弥生墳丘墓に木槨が受容された背景として、「構造物としての漢の木槨を忠実に再現するような直接的移入ではなく、中国的な埋葬のあり方としての棺槨の理念に比重を置いた間接的移入であったために、木槨は比較的短期間で受容し、発展的に姿を消す結果になった」(p.330)と捉え、木槨が日本列島に根付かなかった理由を示したのである。
木棺については、魏晋南北朝時代の木棺や棺金具等が古墳時代の木棺・石棺・棺金具に影響を及ぼしたのかどうか、比較検討の必要性を強く感じたところである。ちなみに、岡林さん・奥山誠義さんとともに2007年11月に科研の出張で中国へ行った際、西安市で後漢墓の棺金具を調査した。裏面についた木質や繊維の分析を、いち早く『西安東漢墓』下冊(2009年)に報告として示されていることも付け加えておきたい。
終章では改めてこれまで共通理解と思われてきた、長大な割竹形木棺と竪穴式石室が前方後円墳の成立とともに出現したという見方を見直し、ホケノ山古墳の中心埋葬施設に見られるような木槨と舟形木棺として出現するという理解を示した。これは古墳時代の始まりを何時に求めるのかという議論と相まって、極めて重要な指摘である。弥生墳丘墓と古墳との違いは何なのか、あるいは古墳時代の始まりを何時に求めるのかといった、これまで多くの人々によって議論されてきた点にも直接関わる問題である。
長大な刳抜式木棺と大型木槨の組み合わせからなる初期的な古墳時代棺槨の成立を第一の画期、竪穴式石室と長大な刳抜式木棺という組み合わせを第二の画期として理解し、「第一の画期は纏向諸古墳を中心とする初期的な前方後円墳の出現とその造営の広がり、第二の画期は巨大前方後円墳(箸墓古墳)の出現を含むいわゆる定型的な前方後円墳の成立とその造営のさらなる広がり」(p.375)に相当し、古墳時代の社会システムが汎列島的に拡大そして確立していくプロセスにほかならないとしたのである。そして、これらの画期は後漢以降の東アジア世界におけるさまざまな政治動向とも連動していると説いた。魏志倭人伝等にみる中国王朝への朝貢は、中国的な埋葬制度や葬送儀礼に関わる理念・知識が繰り返し日本列島に流入し、影響を与えたという理解はその通りだろう。
以上、雑駁ながら論評を進めてきた。もとより私は、この種の埋葬施設について、これまで深く考えたことはなかった。冒頭に書いた通り、学生時代に参加した前期古墳の発掘調査の経験や調査中に感じた疑問点などを相対化してこなかったという反省が先にたつ。前期古墳の埋葬施設については、多くの先達の論文を通して理解しようとしていただけであった。本書を通読して、岡林さんが自ら発掘調査に携わった成果とともに、過去に出土したものでも検討できる実物資料を丹念に調べるなかから結論へと導いていく姿勢に、今更ながら学ぶべき点が多いと感じた。私自身のこれまでの研究姿勢に対しても、戒めなければならないところが大である。本書は、古墳時代の墓制に少なからず関わりのある方に必携であることは、言を俟たない。本評文は、本書の表面的なところをなぞっただけのものであり、甚だ心許ないが、ぜひ諸賢にご一読をお勧めする次第である。
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