第3回 2013.08.18
日本旧石器時代の礫群をめぐる総合的研究発行元: 礫群研究出版会 2012/09 刊行
評者:鈴木 忠司 (公益財団法人 古代学協会)
岩宿時代における火の使用・調理行動、集落構造などの解明に欠かせない礫群の初めての体系的な研究書
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本書は、本文477頁、序章、終章を含め7章30節からなる大著である。 著者の30年にわたる礫群研究の集大成であり、書名どおり掛け値なしの「総合的研究」である。
礫群は、美しくもなんともないただの焼けて割れた礫の集合体に過ぎない。そのこともあって、礫群は岩宿時代研究者から敬遠され続けてきた。しかし、著者は、それをムラの暮らしに関する情報源として、無限の可能性を秘めた魅力的な研究素材であると認識し、一人果敢に忍耐強く挑戦し続けてきた。こうして、この膨大で厄介な対象の資料的現実の把握にまで漕ぎつけ、研究者の手元に届けてくれたことは、60有余年にわたる岩宿時代研究史上、他に類を見ない貢献であるということができる。
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まず、本書の構成に従って、記述を俯瞰していこう。
序章では、列島の岩宿時代に居住した人類が、いかなる理由から礫群を開発し、生活の中に位置づけていったのか、それは人類史の中でいかなる意義を有するものかを論じる。そのために、非加工物の集合体である礫群を、歴史叙述のためにどのように資料化するかを示したいと目的を記している。
第1章では、 礫群を定義する一方、礫群としばしば共存し、礫群同様に等閑視できない存在として「配石」「非焼け礫群」などをあげる。主として拳大(500g前後)以下の大きさの礫から構成される礫群の最大の重要な要素は、焼けていることであり、「焼け礫の放射熱を利用して何らかの用途に供することが」その使用目的であるとしている。これと対照的なあり方を示すのが配石で、主に1kg以上の重さがある大型礫であり、焼けていないことが重要な要素であり、その重さや安定性などを活用して様々な用途に用いられたものとする。礫群と配石が相互補完的に用いられ、集落の暮らしの中で欠くべからざる道具あるいは装置として重要な役割を果たしていたとする。
第2章では、研究の流れを以下のように整理している。70年代では野川、月見野遺跡でのより広く、より深い発掘調査、砂川遺跡での新しい石器群分析法の開発などにより、遺跡観、時代観に大きな変革が生まれたことを受けて、礫群研究も本格化し、検出礫群の資料化が精力的に行われた。
80年代には、礫群の属性の採り方、分析法などの精緻化に加え、それまでの使用過程、使用回数論中心の議論から、調理行動に用いられたという理解を主にして、用途論、集落論、礫群存在の社会的意義論など分析視点が多様化し、様々な解釈がうまれる。
90年代に入ると、民族誌の援用、実験考古学、遺跡形成論、廃棄・遺棄論といった観点から、礫群使用の実態解明に向けた努力が積み重ねられた。こうした過程で、礫群設置から使用放棄にいたる間の運用法、用途(バーベキュー、ストーン・ボイリング、蒸し焼き、炉施設)、調理量、調理対象などの議論が述される。
そうした中で著者は、礫群が多量に調理を可能にする装置でり、このことによって居住集団全体の会食と食物の分配を可能とし、集団の紐帯の強化につながったことを礫群の最大の存在意義とする。
第3章では、平面分布、重量、完形度、接合と欠落礫などの属性を手掛かりに使用過程が論じられている。ついで、礫群と石器ブロック・個体別資料との関係を分析し、他所から当地に移動してきたキャンプ設営のごく初期、まだそこでの暮らしに必要な石器製作を本格的に行う以前のタイミングで礫群使用が行われたであろうとする。新しいキャンプの設営と礫群の設置時期とに関係があるという重要な想定を行っている。
第4章では、礫の割れ、礫群の取り扱い動作、熱量に関する実験考古学的研究を紹介する。礫(砂岩)の割れは460℃から600℃の間に発生することが明らかにされた。動作については、焼石を用いた石蒸し調理などの三つの調理法との関連で、調理後の食料の取り出しとこれに伴う礫の扱い方と礫群の平面分布形との関係を追及する。
第5章では、礫群の地域性と時期変化について、九州南部から北海道までを19の地域と、礫群出現段階から細石刃文化段階までの6段階に区分したうえで資料提示をおこなう。本書の三分の二を占めるその記述はまさに圧巻というほかない。礫群分布には多出地域と希薄地域があり、前者は九州南部から関東地域にかけての列島南半部を占める。こうした地域でも日本海側は希薄地帯に属するという。また、黒曜石やサヌカイトなどの石器石材の主要原産地は全て希薄地帯に入ることから、原石採取や石器製作に専念するような生活期間では、礫群活動が低調になるという興味深い見解が述べられている。
礫群の基数や規模の隆盛期は最寒冷であり、狩猟対象獣にとって好適な生息環境が成立し、狩猟獣、人口、礫群の増大が連動していたと考えられることから、礫群による主たる調理対象は動物性の食料ではないかとする。終章では研究の到達点を示している。
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ここで、著者の主張のまとめをしておこう。用途については、民族誌の検討などから推測される石蒸し調理、グリル、焼石包み込み調理、ストーン・ボイリング、礫を伴う特殊な炉などの可能性の内、密集型礫群を石蒸し調理法、小規模な集中型や分散型に焼石包み焼き調理法を想定し、その他の用途の可能性は低いとする。
礫群の数そのものの時期的な増加は礫群活動の頻度の増大であり、それが石器ブロック数の増加と軌を一にしていることからも、人口増加と関連していると考える。
礫群多出地帯でも礫群が検出されない遺跡がある。このことは礫群が調理用具としてどの遺跡でも常に装備される「常時装備性」というような性格のものではなく、「間欠的装備性」とでも呼ぶべき調理技術であることを示唆しているという。こうした観点から多出地域においても礫群使用行動を伴わない居住地、季節があったとする。
礫群の存在意義は、一つのキャンプの居住者の共食のための装置という点が一番重要であり、こうした共食は常日頃から行われたものではなく、集団の離合集散の中で、機会をとらえて間欠的に実施されたものではないかという。80年代から90年代にかけてしきりに議論された使用回数の多寡論を、キャンプの設営と移動生活の様式の問題に昇華させてこのような展開を示したと評価することができよう。
巨大な原石産地を抱える地域では、石材採取や石器製作に専念する期間を生活サイクルのなかに独自に持つ集団が想定され、その際には個々の家族が単独で行動し、石材産地から帰還した家族が複数集合する場所があり、そこで礫群活動がなされた可能性を指摘する。
礫群の規模はさまざまである。これを礫群の総重量を自在に調節することができる調理量の「容量変動性」とよんで著者は積極的に評価する。調理対象の量を、供給すべき人員数に応じて、自在に調節できる利点と見るわけである。礫群が列島で広く採用されたことは、それが一家族のためだけの装置ではなく、多数の家族が集合するような状況のなかで、集団間の宥和的関係の醸成の手段として、複数家族が共食する道具として広く採用されていったのではないかとする。これが序章で発した問いに対する、著者の答えということであろう。礫群が石器同様に研究されるべき時が来ているのではないだろうか。
その他のおすすめ図書について
なお、本書未収録の全国地名表・礫群観察表などは、『岩宿時代集落と食の理解に向けての基礎的研究』(財団法人古代學協會研究報告第9輯、2012年11月)を参照されたい。こちらもおすすめ
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