書評コーナー

第29回 2015.09.25

人猿同祖ナリ・坪井正五郎の真実 ―コロボックル論とは何であったか―
発行元: 六一書房 2015/07 刊行

評者:勅使河原 彰 (文化財保存全国協議会常任委員)

人猿同祖ナリ・坪井正五郎の真実 ―コロボックル論とは何であったか―

著書:三上徹也 著

発行元: 六一書房

出版日:2015/07

価格:¥4,070(税込)

目次

はじめに ― 本稿の目的に替えて ―
第一章 日本人類学の立ち上げ
 第一節 人類学を志す
  一 生い立ち
  二 人類学会を立ち上げる
 第二節 モースの、そして進化論の影響
  一 モースに対する坪井の真意
  二 進化論への強い傾倒
 第三節 坪井正五郎に影響を与えた二人
  一 箕作佳吉
  二 三宅米吉
第二章 コロボックル論争前夜
 第一節 モースの大森貝塚調査と、導かれた人種観
  一 大森貝塚の調査と報告書
  二 モースの人種観
  三 坪井と白井のモースに対する認識の違い
  四 コロボックル人種への関心
 第二節 三宅米吉の『日本史学提要』の意義
  一 驚愕の内容
  二 現代的な評価と知られざる一面
第三章 横穴論とその論争
 第一節 論争の経過
 第二節 土蜘蛛は日本人種なり
  一 土蜘蛛への世間の関心
  二 坪井の土蜘蛛論
  三 シーボルトの影響
第四章 コロボックル論とその論争
 第一節 狭義のコロボックル論 ―対人物論争とその意義 ―
  一 白井光太郎と(国体史観と欧米科学史観の対立)
  二 小金井良精と(形質人類学と総合人類学の対立)
  三 濱田耕作と(型式学的方法の萌芽をめぐる)
 第二節 広義のコロボックル論 ― 坪井人種論の変遷 ―
  一 コロボックル人種に関する認識とその変化
  二 日本人種について
  三 「人猿同祖ナリ」 ― 坪井の人種観 ―
第五章 日本石器時代に「ない」とされた二つへの挑戦
 第一節 竪穴住居存否問題
  一 本州に竪穴住居はないのか
  二 ならば杭上住居の可能性
 第二節 日本列島旧石器存否問題
  一 旧石器時代の認識と否定
  二 鳥居龍蔵の人気と年代観
  三 坪井の考え
 第三節 信州諏訪湖底曽根遺跡との遭遇とその意味
  一 曽根遺跡の発見と曽根論争
  二 坪井にとっての曽根の意義
 第四節 坪井の本音
  一 曽根への飽くなき坪井の想い
  二 信念と心残りの無念の死
第六章 坪井の真実
 第一節 坪井の事情
  一 帝国主義に迎合したのか
  二 本音を言えない坪井の事情
 第二節 真実を求めた坪井とその後
  一 よく似る三宅と坪井
  二 坪井の死
  三 坪井の種
  四 コロボックル論とは何であったか
おわりに
挿図出典一覧

坪井正五郎のコロボックル論の真実に迫る

 読者の皆さんは、「曽根論争」をご存じだろうか。1908年(明治41)に長野県の諏訪湖底から石鏃が発見され、その遺跡の性格をめぐって、湖底に杭を打って住居とした杭上住居説を唱えた人類学者の坪井正五郎に対して、地質学者の神保小虎や田中阿歌麿が地滑りや断層陥没によって地上の遺跡が湖底に沈んだと反論し、それらの説が新聞や学術雑誌上に紹介されて、一般大衆を巻き込んで大きな話題となった考古学史上に著名な論争である。この曽根遺跡が発見されて100年を迎えたのを機に、地元の研究者らが結成した曽根遺跡研究会が遺跡調査の学史をまとめた第I部、藤森栄一の資料をカタログ化した第II部、最新の研究成果を紹介する第III部からなる『諏訪湖底曽根遺跡研究100年の記録』(A4判、521頁)を2009年に刊行した。
 その大冊を編集した三上徹也は、坪井正五郎が曽根遺跡に尋常でない関心を示した背景に疑問を感じ、彼の論文をはじめとする関係資料を渉猟するなかで、一つの真実をつきとめたのが本書である。構成は、以下のとおりである。

はじめに―本稿の目的に替えて―
第一章 日本人類学の立ち上げ
第二章 コロボックル論争前夜
第三章 横穴論とその論争
第四章 コロボックル論とその論争
第五章 日本石器時代に「ない」とされた二つへの挑戦
第六章 坪井の真実
おわりに

 第一章では、坪井の生い立ちから1884年(明治17)に人類学会(現・日本人類学会の前身)を立ち上げるまでの経緯を縦糸に、坪井に影響を与えた3人の人物を横糸に、彼が求めようとした人類学の本質を考察する。一人は、「近代日本考古学の父」とも呼ばれるE.S.モースで、坪井が終生「人猿同祖ナリ」と主張した、当時の新思潮である進化論こそ、モースから学んだものである。二人目は、東京大学理学部教授の箕作佳吉で、学部の卒業時に人類学の道に進むことを逡巡していた坪井を叱咤し、彼を人類学の研究に邁進させる道筋をつくったのが箕作である。三人目は、坪井と同世代で、当時台頭しつつあった国体史観と対峙して、近代的な日本考古学を確立しようと苦闘した三宅米吉である。坪井は、三宅の歴史観に同調し、お互い切磋琢磨して時代の風潮にあらがったが、そうした坪井の理念的な立場を明らかにする。
 第二章では、日本列島に居住した石器時代人がアイヌか、そのアイヌに伝承されたコロボックルかをテーマとした明治期の日本考古学を代表する論争である人種・民族論争(本書では、コロボックル論争と呼称している)の前夜の動向を探る。まず、筆者は、モースの大森貝塚の調査成果を概観して、そこから導かれたモースの人種観がプレ・アイヌ→アイヌ→日本人という人種交替を基本に、それらが複合した、いわゆる複合民族説に特徴があることを明らかにする。また、モースは、大森貝塚の年代を記紀の年代観より、むしろずっと古い、万に近い旧石器時代を想定していたからこそ、記紀の記録に登場するアイヌより古い人種、そのような意味がプレ・アイヌに込められていると考える。
 こうしたモースの列島の石器時代に対する人種観や年代観は、国粋主義者で反欧米感情を強くもっていた白井光太郎には我慢ならないものであった。一方の坪井は、モースと同意見であったし、『日本史学提要 第1編』で「歴史から神話をおいだせ」と明確に主張し、近代歴史学の方法を提唱した三宅米吉も同類であった。実は人種・民族論争こそは、モース流の欧米科学史観に対する白井ら国体史観の反発が背景にあることを明らかにする。
 第三章では、人種・民族論争が本格化する前後にあった、埼玉県吉見百穴に代表される横穴群をめぐる小さな論争に注目する。横穴=墳墓説を説いた白井光太郎は、横穴を貝塚と同じ石器時代人が残したものと考えたのに対して、横穴=住居説を唱えた坪井は、横穴を金属時代のものとした。このように、横穴の用途の問題では、白井の方が正しかったが、白井は、その根拠を記紀などの古典に求めた。それに対して、坪井が横穴の構造やその技術、出土遺物から金属器を用いた時代の所産であると的確な年代観を示したことに、筆者は注目をする。つまり坪井は、正しい考古学的な手法で横穴論を展開したというのである。
 この姿勢こそが、記紀などの古典にみえる土蜘蛛について、三宅米吉を含めた多くの考古学・人類学者が貝塚を残した石器時代人と考えたのに対して、坪井は、土蜘蛛とは日本人の内における貴賤良不良の違い過ぎず、同じ日本人だとの認識をもてたし、貝塚土器(縄文土器)、素焼土器(土師器)、朝鮮土器(須恵器うち青海波文が認められるもの)、齋甕土器(須恵器青海波文が認められないもの)について、貝塚土器→素焼土器≒朝鮮土器≒齋甕土器という、今からみれば大変に素朴ではあるが、当時としては先駆的な年代観もつことができたことを明らかにする。
 第四章は、いよいよ本書の主題である人種・民族論争である。筆者は、論争を狭義と広義に分けて解説する。狭義とは、白井光太郎との論争を国体史観と欧米科学史観の対立、小金井良精との論争を形質人類学と総合人類学の対立、濱田耕作との論争を型式学的方法の萌芽をめぐる問題ととらえて、それぞれの論争の意義を考える。広義とは、そうした論争をとおして、坪井のコロボックル論が①アイヌ口碑のコロボックル資料集成と考古資料との連結段階、②具体的な人種設定段階、③日本人種との関係言及段階、と継起的に変化しながらも、コロボックルが列島の石器時代人で、それが日本人種に繋がるという、日本人種の本質論になると、それを認めながらも、それが認識されるようなストレートな言動は避けた。筆者は、そこに坪井の心のゆらぎを感じとる。
 一方で、坪井は、人類や人種の定義となると歯切れが良い。坪井は、人類は動物の一種で、人も猿も元をただせば同じ「人猿同祖ナリ」と説く。人種とは、諸人民の系図のようなもので、人種の違いとは、血統が遠いか近いかの違いに過ぎず、そこに根本的な違いはないと考える。だからこそ、坪井は、日本は世界の一地方で、「世界の人類は皆続き合ひ」と明快である。この理念での明快さと、論説でのゆらぎを理解しないと、坪井のコロボックル論は理解できないことを、筆者は明らかにする。
 第五章は、明治期の日本考古学では、日本列島に旧石器時代は存在しないということと、本州に竪穴住居は存在しないという、二つの「ない」が常識となっていた。この日本石器時代に「ない」とされた二つの常識に、果敢に挑戦した坪井の取り組みを紹介する。
坪井は、人類学の研究目的でヨーロッパに留学した当初から、日本の旧石器の問題に関心を払い、終生にわたって問題意識をもち続けた。こうした坪井の旧石器の問題については、学史ではほとんど評価されてこなかったが、それに筆者は注目する。坪井の所論をつなぎ合わせていくと、日本石器時代住民については、記紀の年代観より、むしろずっと古い、旧石器時代をも視野において、洪積世(現在の更新世)にさかのぼる人類の列島への渡来を想定していたことを読み解く。しかし、当時の社会情勢を考えると、それを公言することがはばかれた時代である。
 もう一つの本州の竪穴住居の問題であるが、アイヌの伝承によると、コロボックルは竪穴住居に住むことを一つの特徴とした。しかし、その竪穴住居が北海道で見つかりながら、本州では見つからない。本州で竪穴住居が見つからない限り、坪井のコロボックル論は成立しない。しかし、坪井が必死になって竪穴住居を探しても、当時、それを発見することはできなかった。そこで、坪井は、ヨーロッパ留学中に見聞した古代の杭上住居に注目し、それを日本石器時代に求めたのである。その絶好の検証地として期待した青森県亀ヶ岡遺跡ではあったが、調査の結果は、芳しい成果をえられなかった。
 そんな矢先の諏訪湖底の曽根遺跡の発見である。坪井は、並々ならぬ関心で曽根遺跡を調査したが、杭上住居の証拠は発見できなかった。しかし、その調査でえた石器のなかには、坪井が「長方形石片」と呼んだ石器があった。これが後に八幡一郎によって細石刃の可能性が指摘されたが、坪井もそこに「旧石器を見た」にもかかわらず、国内で旧石器の存在を明言できなかった胸中を、筆者は、坪井の所論を渉猟するなかで確信をもつ。だからこそ、坪井は、その後も曽根遺跡にこだわり、尋常でない関心をもち続けたというのである。
 終章の第六章では、坪井は「帝国主義に迎合した」という今日的な評価に対して、人種を区別することはできないと認識し、人種間の優劣を否定する人類平等観に立つ坪井は、あくまでも真理を純粋に追及していたとして、それが坪井の真実だと筆者は結論する。ただし、当時の社会情勢、なかんずく坪井の立場は、本音を主張することがはばかられた。コロボックルを列島最古の人類と仮想し、それが記紀の年代観よりもはるかに古いと主張することで、坪井は、学者としての矜持を示そうとしたというのが、本書での筆者の評価である。
 こうした筆者の坪井の評価が正鵠を射ているかどうかは、本書を読んだ読者がそれぞれ判断すべきことである。ただし、本書によって、坪井正五郎の人物像に新たな視点がもたらされたことは確かで、考古学を学び、愛好する多くの読者に読んでほしい好著である。
 ところで、この書評を書き上げた前日、私は、国会議事堂正門前で戦争法案に反対を叫ぶ大衆のなかにいた。日本考古学史を学ぶ一人として、戦前・戦中、記紀にもとづく「国史」が唯一絶対のものとする国体史観のなかで、考古学者が強いられてきた研究の状況を学んだものとして、国家機密法に続いての戦争法案の成立は絶対に阻止しなければと、連日のデモに参加した。戦争法案に国民の6割が反対し、今国会での成立に8割が反対していたにもかかわらず、強行採決されてしまった。アメリカの軍国主義に加担し、再び戦争する国へ歩みだそうとしている今日、戦前の考古学・人類学者が時代にどう生きたかを学ぶことは、時宜に適しているし、重い課題が私たちに突きつけられていること知る良書でもある。

人猿同祖ナリ・坪井正五郎の真実 ―コロボックル論とは何であったか―

著書:三上徹也 著

発行元: 六一書房

出版日:2015/07

価格:¥4,070(税込)

目次

はじめに ― 本稿の目的に替えて ―
第一章 日本人類学の立ち上げ
 第一節 人類学を志す
  一 生い立ち
  二 人類学会を立ち上げる
 第二節 モースの、そして進化論の影響
  一 モースに対する坪井の真意
  二 進化論への強い傾倒
 第三節 坪井正五郎に影響を与えた二人
  一 箕作佳吉
  二 三宅米吉
第二章 コロボックル論争前夜
 第一節 モースの大森貝塚調査と、導かれた人種観
  一 大森貝塚の調査と報告書
  二 モースの人種観
  三 坪井と白井のモースに対する認識の違い
  四 コロボックル人種への関心
 第二節 三宅米吉の『日本史学提要』の意義
  一 驚愕の内容
  二 現代的な評価と知られざる一面
第三章 横穴論とその論争
 第一節 論争の経過
 第二節 土蜘蛛は日本人種なり
  一 土蜘蛛への世間の関心
  二 坪井の土蜘蛛論
  三 シーボルトの影響
第四章 コロボックル論とその論争
 第一節 狭義のコロボックル論 ―対人物論争とその意義 ―
  一 白井光太郎と(国体史観と欧米科学史観の対立)
  二 小金井良精と(形質人類学と総合人類学の対立)
  三 濱田耕作と(型式学的方法の萌芽をめぐる)
 第二節 広義のコロボックル論 ― 坪井人種論の変遷 ―
  一 コロボックル人種に関する認識とその変化
  二 日本人種について
  三 「人猿同祖ナリ」 ― 坪井の人種観 ―
第五章 日本石器時代に「ない」とされた二つへの挑戦
 第一節 竪穴住居存否問題
  一 本州に竪穴住居はないのか
  二 ならば杭上住居の可能性
 第二節 日本列島旧石器存否問題
  一 旧石器時代の認識と否定
  二 鳥居龍蔵の人気と年代観
  三 坪井の考え
 第三節 信州諏訪湖底曽根遺跡との遭遇とその意味
  一 曽根遺跡の発見と曽根論争
  二 坪井にとっての曽根の意義
 第四節 坪井の本音
  一 曽根への飽くなき坪井の想い
  二 信念と心残りの無念の死
第六章 坪井の真実
 第一節 坪井の事情
  一 帝国主義に迎合したのか
  二 本音を言えない坪井の事情
 第二節 真実を求めた坪井とその後
  一 よく似る三宅と坪井
  二 坪井の死
  三 坪井の種
  四 コロボックル論とは何であったか
おわりに
挿図出典一覧