書評コーナー

第14回 2014.05.12

弥生文化と海人
発行元: 六一書房 2014/03 刊行

評者:池谷 信之 (沼津市文化財センター)

弥生文化と海人

著書:杉山浩平 著

発行元: 六一書房

出版日:2014/03

価格:¥6,380(税込)

目次

序 章
  第1節 弥生文化と海
  第2節 島嶼研究の意義
  第3節 伊豆諸島の考古学研究の論点
  第4節 本研究の目的と手法
第1章 伊豆諸島の集落展開と渡島集団
  第1節 伊豆諸島の遺跡
  第2節 伊豆諸島出土の弥生土器の検討と遺跡の分類
  第3節 伊豆諸島出土の弥生土器の胎土分析
第2章 三宅島の火山噴火と遺跡
  第1節 三宅島における弥生時代の火山噴火
  第2節 三宅島の遺跡にみる火山噴火堆積物
  第3節 八丁平噴火噴出物と遺跡
  第4節 弥生時代中期の火山噴火
第3章 伊豆諸島の弥生集落の交易活動
  第1節 黒曜石製石器の分析
  第2節 オオツタノハ製貝輪の流通
  第3節 貝輪・黒曜石をめぐる島と本土の交流
第4章 島嶼における食糧資源の問題
  第1節 出土動植物質食糧について
  第2節 食糧生産の問題
  第3節 生業関連石器の問題
第5章 島をめぐる弥生社会
  第1節 稲作を伝えた集団
  第2節 弥生時代中期中葉以後の本土と島嶼の関係
  第3節 弥生時代後期の本土と島嶼の関係 海人集団・貝輪と金属製釧
終 章 海人集団と弥生文化

「弥生海人」の航跡に離島の調査から迫る

 私たちがココマ遺跡の調査のため初めて三宅島を訪れたのは、全島避難が解除された2005年からわずか2年あまりが経ったばかりの時である。当時はまだ観光客にもガスマスクの携帯が義務づけられていて、硫黄臭のする火山ガスはときおり宿舎の近くまで漂ってきていたし、上空で噴煙を吸ったために墜落死する哀れなトビも珍しくなかった。
 本書の著者である杉山浩平は、そんな状況の中でココマ遺跡の調査を進めていった。しかし火山災害から立ち上がろうとしている最中の島に乗り込んでの調査は、「よりによってこんな時に・・・」という否定的な感情を持たれるおそれもあり、初めの頃は島の人々とどう接したらいいか、迷う場面も多かった。私たちが逡巡しているなか、杉山はごく自然に島に溶け込み、三宅村を巻き込んでの調査体制を作りあげていった。その後、2008年の坊田遺跡、2009年の島下遺跡と三宅島における学術調査は計3回に渡って行われ、その成果を下敷きとして本書は執筆されている。
 杉山のもともとの研究対象は弥生時代の石器であった(杉山浩平2010『東日本弥生時代の石器研究』六一書房)。東日本の弥生時代の社会組織を考えるうえで、基層となった縄文的要素の評価が重要なことはここで改めて指摘するまでもないが、前著においては、特に黒曜石の流通にその視点が強く意識されていた。しかしそこで杉山が描き出したのは、神津島産黒曜石という縄文時代以来の素材の流通を担う、弥生時代の専業化された「海人集団」であった。杉山はこの頃から、次の研究対象として三宅島を視野に入れていたものと思われる。
冒頭で「私たち」と書いた。評者である私は、彼の開拓しつつあった「弥生時代の黒曜石研究」の産地分析を担当させていただき、またココマ遺跡、坊田遺跡の調査にも参加する機会も得た。客観的に本書を評価するというよりも、共同研究者としてこのオリジナリティーに満ちた著作を推薦する、という姿勢でこの書評欄を書くことをお許し願いたい。

本書の構成とその概要を以下に紹介しておこう。
序章
 第1節 弥生文化と海
 第2節 島嶼研究の意義
 第3節 伊豆諸島の考古学的研究の論点
 第4節 本研究の目的と方法
第1章 伊豆諸島の集落展開と渡来集団
 第1節 伊豆諸島の遺跡
 第2節 伊豆諸島出土の弥生土器の検討と遺跡の分類
 第3節 伊豆諸島出土の弥生土器の胎土分析
第2章 三宅島の火山噴火と遺跡
第1節 三宅島における弥生時代の火山噴火
第2節 三宅島の遺跡にみる火山噴火堆積物
第3節 八丁平噴火噴出物と遺跡
第4節 弥生時代中期の火山噴火
第3章 伊豆諸島の弥生集落の交易活動
 第1節 黒曜石製石器の分析
 第2節 オオツタノハ製貝輪の流通
 第3節 貝輪・黒曜石をめぐる本土との交流
第4章 島嶼における食料資源の問題
 第1節 出土動植物質食料について
 第2節 食料生産の問題
 第3節 生業関連石器の問題
第5章 島をめぐる弥生社会
 第1節 稲作を伝えた集団
 第2節 弥生時代中期以後の本土と島嶼の関係
 第3節 弥生時代後期の本土と島嶼の関係−海人集団・貝輪と金属製釧−
終章 海人集団と弥生文化

 まず序章において海からの視点で弥生時代を描く意味が説かれている。第1節「弥生文化と海」では、生業としての弥生時代の漁撈活動に関する研究を振り返りながら、「弥生海人集団」を定義している。
弥生時代には沿岸域における自給的漁撈活動の域を越えて、外洋航海の手段と技術を保有し、海洋資源を組織的・計画的に供給する集団が登場してくることを杉山は指摘し、こうした弥生人を「弥生海人」、その集団組織を「弥生海人集団」と呼ぶ。さらに神津島産黒曜石とオオツタノハ、イノシシの「家畜化」、火山噴火と集落の消長の関係という伊豆諸島における考古学的研究の主要な問題についてのこれまでの研究史をたどり、本書の研究方針が示されている。
第1章「伊豆諸島の集落展開と渡来集団」では、各島から出土する縄文土器・弥生土器の編年的知見をもとに、集落の消長が示されている。その中で、縄文時代後期〜弥生時代中期前葉にかけての集落が、数型式にわたって継続するのに対して(「長期集落」)、弥生時代中期〜後期になると1〜2型式しか存続しない「短期集落」が多くなることを指摘している。さらに長期集落の1例である島下遺跡の弥生時代前期の土器の中に、東海地方西部で製作されたものが一定量含まれているのに対して、短期集落であるココマ遺跡は伊豆半島を含む相模湾岸周辺で製作された土器で占められているという胎土分析の結果を紹介している。
 冒頭に紹介した2000年噴火にみられるように、三宅島では居住を断念せざるを得なくなるような壊滅的な噴火がたびたび起きている。ココマ遺跡の弥生時代中期後葉〜後期前葉の包含層の直上には、厚さ50mにも及ぶ火山性堆積物が覆っており、ココマ遺跡廃絶の直接的な原因になったものと考えられている。第2章では三宅島での調査に同行した新堀賢志・斎藤公一滝による火山学的調査を援用しながら、集落の消長と火山堆積物の噴出年代の関係が検討されている。
 「伊豆諸島の弥生集落の交易活動」と題された第3章では、「弥生海人」に担われた神津島産黒曜石とオオツタノハ製貝輪の流通に検討が加えられ、本書の論旨の中核をなしている。三宅島大里遺跡は、弥生時代中期中葉に神津島産黒曜石の獲得と南関東への搬出を目的として形成され、ココマ遺跡は対岸の御蔵島などに生息するオオツタノハの採捕と搬出を目的として営まれた。杉山はこうした原産地直近に生産遺跡が立地する例として、大陸系磨製石斧を挙げ、弥生時代以降に成立する大量生産と専業的な流通を担う集団の存在を示すものと考えている。
 これに対して、縄文時代の神津島産黒曜石の採取と流通の中心となった見高段間遺跡は、神津島から遠く離れた伊豆半島西南海岸にあり、大量の黒曜石を除けば南関東の縄文中期の環状集落と出土遺物に大きな差はない。また縄文時代後期以降にオオツタノハ製貝輪の製作と流通の中心となった大島下高洞遺跡は、離島に立地してはいるものの主要な捕獲地とみられる御蔵島からは100?近く離れている。
第4章「島嶼における食料資源の問題」は、学際的な成果を結集して成果を導こうとする杉山の研究姿勢が最もよく示された部分である。第1節ではこれまでの島嶼の調査で得られた動植物遺存体が集成され、第2節ではレプリカ・セム法による種子圧痕の同定とイノシシのDNA 分析や炭素・窒素同位体分析、第3節では横刃石器の使用痕観察と残存デンプン粒分析の成果を検討し、弥生時代中期中葉以降に雑穀類の粉食が開始されていたという重要な知見を示すとともに、水田経営とイノシシのブタ化のどちらも証拠も島嶼においては積極的に認めることはできないという結論を導いている。
第5章「島をめぐる弥生社会」からは三宅島の調査成果から離れ、関東地方での稲作農耕社会成立に向けた試論が述べられる。
杉山はレプリカ・セム法による籾痕などのイネ関連資料と、関東地方における遠賀川式土器の分布、さらに弥生時代前期にピークを迎える神津島砂糠崎産黒曜石の流通範囲がよく一致することから、稲作の波及の有力なルートとして、三河湾から伊豆諸島を経由して相模湾方面へという経路を示し、それを「海人集団」が担ったものと考えている。
さらに三浦半島の海蝕洞穴から少なからず出土するオオツタノハ製貝輪にも注目し、洞穴群の消長とココマ遺跡の存続時期がほぼ一致することから、これらの洞穴遺跡からオオツタノハ採捕を目的としたココマ遺跡への遠征が行われたと結論づけた。

 本書を通読して感心したことは、2007年がこの研究の本格的なスタートになったにもかかわらず、きわめて短期間に多様で膨大なデータが提示され、それに基づいて新たな弥生時代社会像の提示が試みられていることである。データの中には学際的な共同研究者から提供されたものも多く含まれてはいるが、島の調査のメンバーとして各分野の研究者を取り込んでいった杉山の「戦術眼」を第一に評価すべきであると思う。
 最後に今後に残された問題にも触れておこう。弥生前期に伊豆諸島をターミナルとして三河湾から相模湾を往還した「弥生海人」が稲作を伝えたであろうという仮説は、駿河から北伊豆において弥生前期のイネ関連資料が得られていないという状況証拠に加え、島下遺跡の条痕文土器の中に東海西部で製作されたものが含まれているという胎土分析の結果を踏まえると、極めて魅力的には映る。しかし塩分に弱いイネ籾が、しかも水田経営の適地がまったく存在しない伊豆諸島を経由したとすれば、その移送は当初から長期・長距離にわたることを意識した計画的なものであった可能性が高くなる。また「弥生海人」の長距離移動が、稲作技術の移転あるいは籾自体の移動を主目的とするものであったなら、彼らは「海人」と言えるのか、新たな疑問も浮上してくる。
 杉山はココマ遺跡を形成した弥生海人集団の故地として、三浦半島の海蝕洞穴群を想定している。海人集団のホームグラウンドにおける専業化の程度と実態をもう一つの課題としてあげておきたい。オオツタノハを始めとする貝輪の製作にどの程度、労働を集中させていたかという問題である。既に次なるフィールドとしてその中の一つの洞穴が候補となり、学際的な調査の手が入ると聞く。その成果が今から楽しみである。

弥生文化と海人

著書:杉山浩平 著

発行元: 六一書房

出版日:2014/03

価格:¥6,380(税込)

目次

序 章
  第1節 弥生文化と海
  第2節 島嶼研究の意義
  第3節 伊豆諸島の考古学研究の論点
  第4節 本研究の目的と手法
第1章 伊豆諸島の集落展開と渡島集団
  第1節 伊豆諸島の遺跡
  第2節 伊豆諸島出土の弥生土器の検討と遺跡の分類
  第3節 伊豆諸島出土の弥生土器の胎土分析
第2章 三宅島の火山噴火と遺跡
  第1節 三宅島における弥生時代の火山噴火
  第2節 三宅島の遺跡にみる火山噴火堆積物
  第3節 八丁平噴火噴出物と遺跡
  第4節 弥生時代中期の火山噴火
第3章 伊豆諸島の弥生集落の交易活動
  第1節 黒曜石製石器の分析
  第2節 オオツタノハ製貝輪の流通
  第3節 貝輪・黒曜石をめぐる島と本土の交流
第4章 島嶼における食糧資源の問題
  第1節 出土動植物質食糧について
  第2節 食糧生産の問題
  第3節 生業関連石器の問題
第5章 島をめぐる弥生社会
  第1節 稲作を伝えた集団
  第2節 弥生時代中期中葉以後の本土と島嶼の関係
  第3節 弥生時代後期の本土と島嶼の関係 海人集団・貝輪と金属製釧
終 章 海人集団と弥生文化